「暑いわ」

　リビングで涼んでいる中、唐突にアルが言い出した。
　僕とユキとアル。三者三様にグラスを手に持ち、あまり涼風が出なくなったエアコンの前に陣取っている。
「またいきなり……」
　先日のベルカッツェを思い出す。
　あの時も、いきなりゲームを持ちかけてきた。

「むー……」
　カランとミルクティーを傾けながら、向かいに座ったユキが険しい視線を向ける。
「暑いわ。何とかしなさい」
　リビングで優雅にアイスティーを傾けている。
　……これ一杯を飲みだすまでにも、ひと悶着があった。
　ミルクと砂糖を入れるのはお子様だとか、ストレートでは飲めないのか等など……。
　この前の喫茶店でミルクと砂糖多めにしてた事は、武士の情けで黙っておく。
「……温度さげようか？」
「すでに最低温度じゃない。壊れてるんじゃないの？」
「だよなぁ」
　エアコンは今も頑張って働いているが、じりじりと室温が上がってきている。
「じゃあ、またベルカッツェにでも」
「連日いってるもの。飽きたわ」
　即答される。
「むーー……っ」
　人様の家で好き勝手言うアルに、ユキの怒りはそろそろクライマックスだ。
「アルの家は？　僕のところより涼しいんじゃないのか」
「この炎天下の中、外に出ろっていうの？」
「……っ」
　キッとユキが怒り混じりの視線を向ける。
　がたんと席を立った彼女を、アルが正面からニヤリと笑う。
「へぇ。やる気？　こんな場所で物好きね」
「うるさいです」
「ああ……もう……っ！　やるなら外いってくれよ！！」
　僕の声に、二人ともピタリと止まる。
「…………」
　無言で座りなおした。
　……二人とも、暑い所は嫌いらしい。
「あらあら。アルちゃんお代わりはいる？」
「……もらうわ」
「ユキちゃんも？」
「ん。なにもいれないで、いいです」
「張り合っちゃって。精神年齢の低いお子様が」
「むー……」
　……お前らな。
　お代わりをいれながら、母さんがニコニコと割って入る。
「でも仕方ないわよね。今日は本当に暑いもの」
「だからって、わざわざ人の家でケンカしないで欲しいんだけどなぁ……」
「それなら悠斗、泳ぎにでも行ってみたら？」
「泳ぎ？　どこに」
　母さんの提案に、アルが首を傾げる。
「この近くなら僕のバイト先だろ。少し離れた所に室内プールがあるから、そこになら――」
「楽しそうです」
「却下」
　ユキをさえぎるように、一言で切ってすてる。
「…………」
「そんな目で睨んでもダメ。見るからに飾りの頭でも、少しは使って考えなさいよ。そんな目立つことなんてできるわけないでしょ？　却下よ却下」
「アルの立場からするとそうなんだろうけど……」
「わたし、行きたいです」
「一人で行きなさいよ。そのまま帰ってくるな」
「わたしのうちです！」
　参ったなぁ……。
　ともあれ、この暑さはいかんともしがたい。
　泳ぎに行くというのはいい案だと思うが……場所が問題だ。
「……ビニールプールとか」
「殺されたいの？　だいたい、それじゃ屋外じゃない。何のために日頃から日光避けてると思ってるのよ」
「アルちゃん、お肌弱いの？」
「見ればわかるでしょ、そんなの」
「わたし平気です」
「そりゃあんたは――」
「ぜんぜん平気です」
「……解体すわよ。このガキ」
　この辺りは二人の身体特性の差か。
「何とかならないかなぁ……」
「プライベートのプールでも用意できないの？　そうしたら入ってあげるわ」
「ゆうと、二人でいきましょう。この人、おいていきましょう」
「……そうは言ってもな」
　思わず母さんと目を合わせる。
「……じゃあ、こうしましょうか」
　そう言っていたずらっぽくほほ笑んだ。


　　§


「うちの学園の？　ああ、でもでも！　あたし、もう卒業しちゃってますよ？」
　電話口の心音がいぶかしげだ。
「心音の方から、お爺さんに許可取って欲しいんだよ。夜にプール貸して欲しいって」
「おおっ。なるほどー。みんなが寝静まった後のプール！　そこに無断進入して好き勝手に泳ぎ回る快感！！　夜な夜な騒ぐ音が七不思議として語り継がれて――」
「……いや、だから」
「あ、許可のことですね。大丈夫ですよ。ダメでもあたしから勝手に都合つけちゃいます」
「暴走するくせに、話は聞いてるんだよな。お前」
「いやだなー。心音ちゃんは人様のお話をよく聞く子だといいねと、近所のお姉ちゃんからも大人気ですよ」
　もはや突っ込む気力もない。
「……じゃあ、夜７時くらいにいいか？」
「はーい。わかりましたー。水着は何にしよっかなー。ビキニかなー紐かなーはずかしいなー」
　電話が切れる。
　……またアルに泣かされなきゃいいんだけどな。
「そういうわけで人目につかないプールを確保できたけど」
「悠斗って馬鹿？」
「む」
　呆れたように言われる。
「今暑いのに、夜まで待ったら意味ないじゃないの」
「あなたうるさいです」
　ユキがムスっとしている。
「かってなことばかり言ってます。ゆうと、いじめてます。自分勝手です」
「ユキ……」
　じーん……。
　あのユキがここまで……。
「……馬鹿らし。アンタが言えた義理じゃないでしょうが」
　言いながらアルが立ち上がる。
「おい、アル」
「よくよく考えれば、私も暑さに判断を鈍らせていたようね。まったく馬鹿と同レベルの馬鹿になるなんて」
「……？」
「隣、行けばいいじゃない。何もエアコンあるのここだけじゃないものね」


　ぞろぞろと連れだって真央の家にやってくる。
　母さんはいつものようにノンビリと、真央ちゃんによろしくねなんて言っていた。
　その真央だが、なんだか少し疲れた雰囲気を漂わせている。
　この所、連日夏の課題で大変らしい。
「それでうちなんだ……」
「そーゆーこと。悪いな課題中に」
「ううん。別にいいよ。でもごめんね。ちょっと忙しくて手が離せないの」
「別にいいって。押し掛けてきたのこっちだし」
「ふぅん……見せなさい」
　アルが無造作に入っていく。
「あ！　アルちゃんっ」


「課題なら終わったわ。これで気兼ねなく涼めるわね」
「……うう」
　三十分ほどして、二人が下に降りてくる。
　真央は複雑そうだ。
「課題……本当にあっさり……わたし、ずっと悩んでたのに……うう。というか、課題チェックの時どうしよう……」
　真央がショックを受けている。
「夜まで居させてもらうわ。あなたたちは好きにしていなさい」
「わたしの家だよー」
　もちろん、アルにそんな一般常識は通じない。
　アイスティーを傾けながら、一人でエアコンの風が当たる場所を占領している。　
「もしかして、アルって暑さに弱いのか？」
「なによいきなり」
「ベルカッツェによく涼みに来てるみたいだし、今だってエアコンにめちゃくちゃ拘ってただろ？」
「別にそこまでこだわっていたわけでも」
　……いや、こだわってただろ。ものすごく。
「なんじゃくな証拠です。きたえ方がたりません」
　ふふんとユキが得意げに胸を張る。
「別に。体質的にはむしろ強いけど。……この不快感が嫌いなのよ」
「……ああ、湿気か」
　髪の長い彼女達では、肌に張り付いて大変そうだ。
　真央が持ってきた麦茶を飲みながらも、ワンピースの姿の白い少女二人は対照的だ。
「でも、アルちゃんってなんでそんなにプール嫌いなの？」
「いまさらその話？　確認するまでもないでしょう。私は人目につきたくないの」
　アルは呆れて言うが……その態度には、どこか話を変えたいような節が見える。
「…………」
　その双子のような姿を、ユキが挑むように見つめている。
「ゆうと、まお」
「……このっ」
　何かを察して激高しかける。
　そこに割り込むように、ユキが続けた。
「わたし、泳いだことありません。泳ぎかた、しりません」
「ぐ――っ！」
　アルがのけぞる。
　今のが致命的だったらしい。
「もしかしてアルって……」
「うるさいっ」
「……へ～。ほぉ～」
「見るな。話しかけるな」
　真央がアルの手を取って、ぶんぶんと上下に振る。
「アルちゃん、お仲間ー」
「離しなさいっ」
　真央の手を振りほどき、リビングを出ていく。
「おかしいことじゃないだろ。誰も笑ったりしないぞ」
「別に、笑われることなんか、一つも……」
「ゆうと、泳ぎを教えてください」
「この――っ！」
　ユキが僕の後ろに回り込む。
　顔だけ覗かせて、アルをむーっと威嚇してる。
「でもさ、泳いだことないっていうのは本当に恥ずかしいことじゃないだろ？　アルの今までからすると仕方ないっていうか、そういう施設に行く機会もなかっただろうし」
「……そうだけどね」
「それじゃあ練習するいいチャンスじゃない？　泳げて損することないもんね」
「……お前泳げないだろ」
「う……それは言わない約束だよ」
「むー……」
　アルが来ることに、ユキは不満気な表情を崩さないが……。
「ん。わたし頑張りますっ。あの人より、ぜったい上手くなってみせますっ！」
　闘志を燃やしていた。



　§


「ははぁ～。それであんなにやる気になってるんですね」
　照明で照らし出された夜のプール。
　もしここが屋外だったら、さぞかし見ごたえのある光景になっていただろうに、残念ながら屋内だ。
「でも悪いな。こんな事のために都合つけてもらって」
「いえいえ、ぜーんぜんオッケーですよ。あたしだって、よく泳ぎに来ますからね。それに先輩方には利用料金貰ってますし」
「……全然足りないけど」
　本当に一般利用者程度の額だ。
　プールの貸し切りには足元にすら届かない。
「わー。ユキちゃん上手い上手いーっ」
　離れた所から真央の歓声と、凄まじい勢いで掻き分ける水柱が立っている。
　さすがに身体能力においてユキに欠点はない。
　ビート板にはもう慣れたようで、ものすごい速さでプールを往復している。
「それで……アルちゃんは一体どこに？」
「母さんが着替えさせてるはずなんだけどなぁ」
　もしかして、素肌を晒すのが嫌なんだろうか。
　……ありそうだ。
　ユキをよく、羞恥心がない！　となじってケンカになっている。
　確かにユキはその辺り大雑把だ。対するアルは着こなしまでキッチリしている。
「みんな、お待たせ」
「あ、優子さーんっ！」
　更衣室から母さんがやってくる。
　アルの白い髪が、その後ろにゆれている。
　そして、歩くたびになにやらカチャカチャと音が……。
「…………」
「…………おいおい」
　心音と二人で思わず顔を見合わせた。
　アルの白い肌を覆うのは、露出の多い白い水着。
　しかし、その白い両の太ももには見慣れない物がくっ付いている。
「……銃刀法違反」
「それは人間にだけ適応される法ね」
　……一つ思ったんだが。
　アルが泳げないのって、あんなに何本もナイフを差してるからなんじゃないだろうか……。


「…………」
　じろり、とプールで向かい合ったままこちらを威嚇している。
　その横をユキがものすごい速さでバタ足で通り抜けていく。
「ユキちゃーんっ！　息継ぎ！　息つぎーっ！」
　２５Ｍ程度じゃ、その必要すら無いらしい。
　あっさりと自然に泳ぎを体得したらしいユキの横で、ビート板片手のアルは頬をぴくぴくと引きつらせている。
「……どうして、この私が、こんなゴミみたいなモノを、使わないと、いけないのかしら……」
「ユキもさっきまでそれ使ってたんだぞ」
「く……」
　しぶしぶと言った調子で体を預け、何とか水をかこうとするが……。
「……ぶくぶくぶく」
　……早速沈んでいる。
「お、おいっ！」
　慌てて水の中に潜って引っ張り上げる。
「げほっ、けほっ。やっぱり泳ぎなんて……」
「……一時的にナイフ外したら？　明らかに重さに負けてるだろ」
「出来るわけないでしょう……っ！　理由があって持ち歩いてるのだから、例外を作ってどうするのよ」
「そーですよー。かの剣豪、宮本武蔵だって隙を作りたくない！　って理由でお風呂も絶対に入らなかったそーですよー。不潔ですね」
「お前は感心してるのか、バカにしてるのかどっちなんだよ」
「まーまー。それはおいといて、アルちゃんとしては武装したまま泳ぎたいわけだよね」
「……そうね」
「じゃあ、こうしよっか」
　そう言って、心音が更衣室に消えていく。
「優子さーん。ついにアレの出番が来ましたよーっ！」
「あらあら」
　そして母さんまでのんびりと消えていく。
　……何を用意したんだ、一体。
「ところで優子って今いくつ？」
「……さあ、多分４０手前のはずだけど」
　越えてるかもしれないが、その前後のはずだ。
「ありえないでしょう。どうみても悠斗と同年代ね。案外メルクリウスなんじゃないの？」
「…………実は最近、それも否定できなくなってきた。僕の方がたまに年上に見られるんだよ」

　更衣室に消えた二人は、５分くらいして戻ってきた。
　その手にしたものを見て、アルが暴れる。
　……浮き輪とイルカのフロートだった。

「ど、どうしてこの私が……屈辱だわ……」
　ざぶざぶとフロートにまたがったアルを引っ張っていく。
「じー……」
　その光景をユキが羨ましそうに見ている。
　もう彼女はクロールもマスターしたようで、はっきり言って僕より泳げる。
「というかそのナイフ、合計何本あるんだよ」
　アルには悪いが非常に重い。重すぎる。
　引っ張るだけでも精一杯で、フロートはビート板を重ねても沈みそうになっている。
　彼女が絶妙なバランス感覚で平然と乗りこなしているから引っ張れるだけであって、本来なら１メートルとも進まない。
　この辺り、やはりアルの身体スペックも普通じゃない。
「フォールディングナイフにシースナイフ。登山ナイフにサバイバルナイフ。後はファイティングナイフを２本……これでもかなり選別したのよ」
「……例えば？」
「普段使っているＤ２鋼は耐熱性の変わりに錆に弱いから、当然除外したわ。炭素鋼全般が使えないから、殆どがステンレスナイフ」
「包丁とかの？」
「銀紙鋼は加工するの面倒だから滅多に使わないわ。とりあえず今日はＡＴＳ-３４で統一したから、帰ってから実際の対腐食や耐水性を検分してみるつもり」
「さっぱりわからん」
「……まあ、質問だけに答えるなら６本ね」
　一体どこにそれだけ持っているのやら。
「合計重量は？」
「２キロくらいかしら。大して重くないわ」
　それじゃ鉄アレイ持って泳いでるようなもんだ。
　泳ぎの初心者がそれじゃ、水には浮くまい。
「悠斗、いいからしっかり引っ張りなさい。全然動かないじゃない」
「……前からじゃなぁ。後ろから押していいか？」
「な――ダメよ。前から引きなさい」
　この手のフロートを進ませるなら、後ろからバタ足で押した方がはやい。
　だというのに、アルは頑として後ろには回らせない。
　やはり、武器の近くに他人をおきたくないんだろうか。
「……ゆうと、ゆうと」
　ユキが流れるような自然な平泳ぎでやってくる。
「すごいな。もうそんな泳げるようになったのか」
「ん。がんばりました」
　頭を撫でると気持ち良さそうに目を細める。
「……ふふん」
　そして、よせばいいのにアルに向けて小さな胸を張って自慢する。
「く……っ」
　ギリギリとアルの眼が釣りあがる。
「ああ、もうっ」
　ホント仲が悪いな！
　両者の距離が縮まっていく。
　一触即発の気配――に、のんびりと浮き輪の心音が割って入ってきた。
「もー。ダメですよーっ。プールは綺麗に使わないと。お水汚したら全交換なんですからね」
「……心音ちゃん、そういう判断なんだ」
「そういうわけで……えいっ！」
「なっ」
　アルのフロートに飛び掛る、浮き輪のまま、後ろからバタバタと押していく。
「わー、アルちゃんってお尻まで肌白くてきれー。いいなー。触ってみたいなー」
「や、やめなさい！　ぶっころすわよっ」
「はーい、やめときまーす」
　ばしゃばしゃと二人して仲良くプールの中を回り始める。
　……そうか、そういうことか。
「……まあ、あっちは暫く心音に任せておけばいいとして」
　母さんはプールサイドでのんびりと中を眺めている。
　元は保険の先生だし、何かあっても何とかしてくれるだろう。
「じゃあユキ。次はこっちの特訓だな」
「ん。がんばります」
「え、え……？　わ、わたしはいいよ～っ！」
　真央の嫌そうな声が響き渡った。


　……そうして、皆でプールを満喫した帰り道。
「それじゃ先輩がたー。おつかれさまでしたー」
　心音が元気よく手を振って、かけていく。
　ユキは泳ぎ疲れたのか、すやすやと僕の背で眠っている。
　そして結局、なんだかんだといってアルも泳げるようになっている。
　元の身体スペックは非常に高い。
　水の中に慣れた後は、立ち泳ぎで歩くように移動していた。
「当然の結末だけれど」
「……そう言うことにしておくよ」
　そうして公園を抜ける間際、アルが踏みとどまった。
「今日は帰るわ。ナイフの手入れもしたいし」
「ええ。それじゃまた明日ね」
「……行くなんて一言も言ってないけど」
　ニコニコと押しの強い母さんにため息をついて、僕達にぎこちなく苦笑してみせた。
「ま、水も結構悪いものじゃないわね。真央も早く泳ぎくらい覚えなさい」
「うう～～アルちゃん意地悪だよー」
　それだけを言って、暗闇に消えていった。

　ある夏休みの一日。
　穏やかに、平凡に過ぎていく、真夏の太陽を思わせる宝石のような一日だった。