外の気温は四十二度。

　今年一番の真夏日を記録し、窓ガラス越しに見える道路に陽炎が揺らいでいる。
　大量はどこまでも強く輝き、世界は白く染められている。
　こんな日こそ喫茶店は満員御礼。混雑に賑わい、涼を求めるお客さんがひっきりなしに店内に入る――というのは幻想だ。
　ここまで暑くなってしまうと、そもそも外出する気力自体をそがれてしまう。外に出た人も、さっさと自分の家に帰りたくなってしまうものだ。
　事実、店の前の大通りは驚くほど交通が少ない。上がり続ける気温のせいか、車すら滅多に通らない。
　だからエアコンがフル稼働する涼しい喫茶店にも関わらず、今日は珍しいほど閑古鳥が鳴いている。
　店長の鈴さんも居なければ、暑さにやられたとかで、他のアルバイトの人も急な休み。掃除も何もかも終わってしまい、伸び悩む客足に予想外の暇を持て余していた。
　店内の人影はまばら。
　奥のテーブル席には夏休みの学生らしき少年達が談笑している。部活動の帰りか、ここ何日か連続して見る顔だ。
　彼らは店内を眺めては、誰かを探す仕草をしている。
　大方、真央か鈴さんか――あるいは、他のバイトの子が目当てなのだろう。そういう客は珍しくないので、コーヒー一杯で粘られても武士の情けで見なかったことにしておく。
　バイトの子の中にはお客さんにしつこくされたとか、告白されたなんて子がいるみたいだけど、遠くから眺めてるだけなら特に問題はない。暑い中きてくれるのだから御の字だ。
　しかし、問題ある客というのは、何もその手の話題だけじゃない。
　僕の正面にいるのはまさしく問題の客だ。
　カウンターには一人、アイスティーのストローを咥える少女がいた。
「それで、幽霊ってなんだと思う？」
　アイスティーを優雅に傾けながら、彼女は言った。
「……いきなりそんなこと言われてもな」
　というか、ずいぶん唐突な話だ。
「姿が半透明で、触れなくて、どこにでも現れて……ついでにラップ音とかポルターガイスト現象なんていうモノを起こしたり、呪ったり祟ったり……ロクなものじゃないわね」
　居ればの話だけど、と最後に締めくくった。
「まあ……そうだな」
　居ればの話だけど。と僕も続けた。
「一番有名な所では心霊写真とかコックリさんというやつかしら？　学校って所では集合写真を撮るたびに皆で舐めるように見たり、放課後集まってやったりするんでしょ？」
「それが当然みたいにいわれても困る。というか、なんでそんな偏ってるんだ？」
「おかしいわね……そう言ってたんだけど」
　本気で首を傾げている。
　それで、誰がそんなことを言ってるのか理解した。
「心音め……」
「ま、そういう即物的なのは置いといて、やはり幽霊話なら四谷怪談かしら？　それくらいなら知ってるでしょ？」
「お皿数える奴だっけ」
「……それは番町皿屋敷。あなた本当に日本人？」
　呆れられてしまった。
「うっさいな」
「ま、いいわ。どちらにも共通しているのは、祟りということね。つまり、実態を持たない存在がもたらす恨みの感情。それに恐怖を覚える。恨みも、恐れも、どちらも誰しも持っているものなのに。
　それとも、だからなのかもしれない。相手に恨まれようとなんだろうと、生身の存在ならまだ手段があるものね。強者が弱者を虐げるなんてよくあること。片方の立場が変わった所で、それは本来どうにもならない力関係のはず。――だというのに、死者の怨念というのをこの国は古来より恐れている。過ぎた思いは既に畏怖と呼んで差し支えない。人を呪わば穴二つ――仕舞いには、自分のために呪うなとまで言ってるわ」
「はぁ」
「ほら。バカ面下げてないでアイスティーお代わり」
　氷だけになったグラスをこちらに突き出す。
「紅茶にお代わりのサービスはないぞ」
「いいから注ぎなさい。代金なら心配しないでいいから」
「へいへい」
　そんな台詞、一度でいいから言ってみたいものだ。
　そして誰が聞いても嫌味にしかとれない台詞でありながら、彼女が混じりっけなく純粋に言っている事も知っている。
　彼女はある意味、本当の箱入りお嬢様だ。
「……で、いきなり幽霊の話なんてどうしたんだよ。その手の話題に最も縁遠いくせに」
「それは心外。むしろ、私が一番近いと思うんだけど」
「というと？」
「不確定であやふやってこと。実体があるかどうかなんて些細でしょ？　幽霊を実際に目撃したとして、触って確かめるなんて出来る人どれだけいる？　というか、幽霊に首を絞められたとか、背中を押されて突き落とされた。足を引っ張られた。そんな話もあるくらい――ほら。なら大した違いはないじゃない」
「いやいや。大違いだろ」
　今目の前のいる彼女と、そんな話でしか聞いたこともない存在を同一視なんて出来るわけがない。
「ま、それはそれでいいんだけど」
「なんだかよくわからない話だな。結局、何があったんだ？」
「特になにも。ほら、ミルク多めにして」
　ミルクポットを出して、グラスに継ぎ足す。
　大雑把にストローでかき混ぜた後、ずずーっと吸った。
「それより、あの清川の孫のしつけはどうなってるのよ。一体どうやったらあんな性格が出来上がるんだか……」
「……ぷっ」
「――――」
　ぎろり、ととんでもなく鋭い眼つきで睨まれた。
「アンタのおかげで出来上がったとか本人言ってたわよ。しっかり教育しなさい」
「なんだ。けっこう仲いいんだな」
「……別にそういうわけじゃないけど。清川の家に行くと、ああだこうだとうるさいのよ。アイツの両親は家を継ぐ気無いみたいだし、そうしたら時期筆頭でしょう？　まったく……本当にもう、どうしてこんな……」
　ぶつぶつと何かいっている。
　彼女の生活は心音のお爺さんに頼ってる部分もあり、孫娘を邪険には出来ないらしい。
　そんな所もやはり人間らしく、なんだか楽しくなってしまう。
「というとさっきの話も心音絡みか……今度はアルが七不思議探険にでも連れて行かれたか？」
「私が連れて行くように言ったの」
「へぇ……」
　それは正直驚いた。
「一体何があったんだ？」
「正直たいしたことじゃないんだけど……」
　アルがいつものように、つまらなそうに口を開く。ポケットからプラスチックの破片を取り出し、カウンターに置いた。


		§


　春から、季節は大きく変わっていた。
　遊歩道に舞い散る桜の花は緑葉に変わり、冷たい風に背筋を振るわせた田舎道には蜃気楼が立っている。
　真夏の太陽の下、少女は日傘を手に歩いていた。
　小柄な少女だ。
　薄い色のワンピースに、血管が透き通るほど白い肌。深くさした日傘が影になり、彼女の表情は伺えない。
　農道を歩く作業服の老人が会釈して擦れ違う。途端に珍しいものを見たとばかりに彼女を振り返った。
　白い傘の下に見えた色。
　背に垂れた長い髪。
　それは暑さを瞬間忘れさせる、雪の色をしていた。


「いやー。毎日毎日あっついねー」
　うちわで胸元に風を送りながら、清川心音は砕けた調子で言った。
　彼女の部屋はエアコンが掛けられ、最適な温度に保たれている。壁に掛けられた受信部を見ると二十六と表示されていた。
　だというのに、心音はついさっきまで外にいたように、汗を流し、涼を求めている。
　暑いというならもっと下げればいいのにとアルは思ったが、微妙な温度設定は部屋の主そのままだと嘆息した。
「見えるわよ」
「へ？　なにが？」
　自宅の気安さかホットパンツにタンクトップという薄い格好だ。
　更には下着もつけずに胸元を引っ張っているのだから、谷間どころかそれ以上のものが先ほどから覗いている。

　首元から流れた汗がバストの間を零れ落ちるのが扇情的だ。そこにタオルを無造作に突っ込んで汗を拭っているのだから、あまり人には見せられない姿になっている。
「アルちーはいつも涼しそうでいいなー。何か秘訣でもあるの？」
「別に。体質としか」
　白い髪は日光に強く、代謝能力の高い身体は熱を溜め込むこともない。
　アルにとっては単なる事実でしかないが、心音はうらやましいと連呼している。
　ごろごろと床の涼しい所に頬をつけてる姿は、もはや半裸に近いほどになっていたが、そこまで注意する必要もないと判断し、この話題には触れないことにした。
「……それで、いつ帰ってくるの？」
「お爺ちゃん？　さー、どうだろ。電話聞いてすごく慌てて出て行ったから、何かあったのかな？」
「そう」
　書類が出来たから来いと言っておきながらこのザマだ。
　自分で言い出したくせに連絡一つよこさない。
　どうもこの一族の辞書には、契約とか遵守という言葉が書かれていないのだろう。次の世代には羞恥なんて言葉も消えてるかもしれない。
「で、アルちーは今日はどうしたの？　先輩の弱み探しにアルバム探索？　ダメダメ。残念ながらないよ。もう去年あたしが探してるもん。もっと撮っておけばよかったなー」
「待ちなさい」
「なに？　アルちー」
「……先ほどからしている、たわけた呼び名はなに？」
「呼び名？　アルちー？」
「先々週は確か違っていたわね」
「前はアルっちだっけ」
「さらにその前はアルアル。アっちゃん。アルたんと遡っていくわ」
「うわー。よく覚えてるねー。何がお気に入り？」
「そんなもの無いからやめなさい」
「えー」
「……はぁ」
　このやり取りも毎回のことだ。
　清川心音はアルに変な呼び名をつけては、止めさせられる。
　――どうしてこんなことになっているのか。
　そう。切っ掛けはあの春の事件だ。
　椋木悠斗とアルにそっくりの少女を中心に起こった彼女達を巻き込んだ２週間。
　北関東地震に付随して発生した、長浜市銃器発砲事件。
　世間的な扱いはただそれだけ。
　大学生が一人撃たれ、関連すると思われる前後の事件で大量の重軽傷者を出しながらも完全解決することなく沈静化していった。
　だけど、関わった個人に訪れた変化は大きかった。
　アルはそれまでの生活を捨て、人の中で生きることに。そして今はそのために、必要な準備を進めている。
　だから、地元の名士である清川翁の力を借りるのはいい。
　それ自体は以前と変わりなく、ただ表面化したに過ぎない。
　一つだけ不満があるとするならば――。
「アイス食べる？　何がいい？」
　必然的に、この能天気な少女とも関わりを持つことになってしまうことだった。
　自室にある小さな冷蔵庫をごそごそと漁っている。気にはしないようにしていたが、ホットパンツから伸びる白い足と、短い丈から覗いている下着は、こいつは本当に気付いていないのかそれとも突っ込みを待っているのだろうか、などと考えてしまう。
　そんな姿で四つんばいになって冷蔵庫を漁っているのだから、いっそのこと引き摺り下ろしてやろうかとも思う。
　中からカップのアイスを取り出すと、渡してきた。
「はい。ハーゲンダッツあったからあげる」
「……どうも」
　どうにも調子を狂わされる。
「何かやるなら悠斗にでも言えばいいんじゃない？　あのお人よしなら、断ることもしないでしょう」
「うーん……そうなんだけどねー」
　言いながら包装をといて、自分は五十円のガリガリ君にかじりついている。
「まーまー。今はせっかくアルちーがいるんだから、ちょっとお知恵拝借させて欲しいワケなのですよ」
「構ってるほど暇じゃないんだけど」
「いいからいいから。お爺ちゃん帰ってくるまで協力してよー」
　床に紙を広げる。
　見慣れたこの街の地図に、幾つか印がつけられている。
「これは？」
「ふっふっふ。心音ちゃん夏の怪奇特集いん長浜ですよ」
「また……？」
　手に取り、傍らのペンを取る。
　地図にあるうち、幾つかの部分にバツをつけていった。
「あ、ああーっ！　なにするのーっ」
「今消した所は、私の住処と倉庫だから何もないわよ。どうせ、無人の家屋に人影があったとか、物音がしたとか、侵入者が変な目にあって追い返されたとか、その程度の情報でしょう？　心音の思いつきで無駄足踏むのはごめんだわ」
「う、うう」
　図星だったのか困ったように唸っている。
「……この調子じゃ、他のところも似たり寄ったりでしょうね。夏休みで浮かれた子供が溜まり場にでもしてるんじゃない？」
「う、うう～～ん……そう言われるとそうなのかもしれないけど」
「一人で行くのはやめなさい。心情的には貴女が勝手に危ない目にあっても構わないけど、いざそうなったら実質問題で支障が出るわ」
「ううん……でもなぁ」
「本当に行きたいのなら止めないけど。何か事起こって、嫁入りできない身体になっても知らない。――ま、それも心音の自由だけど」
「う、ううう」
「最近の子供は留まるところを知らないそうよ……。知ってる？　以前起こった学生の殺人事件。事件であって事故じゃないのがポイントよね。彼らにとっては殺意なんて無いから、一思いに殺してくれないんだって。口の中に手をいれてライターに火をつけて、気絶するまで何秒持つかなんてのは初歩の初歩。中に入れるっていうなら、何も穴は口だけじゃないものね。灰皿代わりに使われたりとか、想像するだけでも肝を冷やすわ。そんな思いはしたくないものね。
　そうした目にあった後は、助かっても二度と使い物にならなくて、そのまま精神病院に入ることもあるそうよ。――あら、これじゃ結局助かってないわね」
「――っ！」
　ぶるぶると震えている。
　……少し脅しすぎたか？
　一瞬そう思ったが、やはりどうでもいいことだとばっさり捨てた。
「ま、興味本位もいいけど、そういうリスクも把握しておきなさい。何か事があってからでは遅いでしょう？」
「あ、で、でも！　それだとアルちゃんも一人暮らししてて危ないじゃない！」
　先ほどバツ印をつけた地図を手に、詰め寄ってきた。
「こんなひと気の無いところふらふらしてるなんて～。しかもすっごい可愛いし、そっちの方がずっと危険だよ……うう。アルちゃん、あたしが無理を言ったばっかりに……助けられなくてごめんね……」
　心音は半泣きになっている。
　頭の中でどんな想像されているのか、考えたくもない。
「……ほんとにバカなのか愚かなのか天然なのか、わからないわね」
「ひ、ひどい」
「先ほどのは大げさにしても、心音は隙だらけなんだから少しくらい気をつけなさい。自宅とはいえ客を迎えてする格好ではないでしょう」
「わひゃぁっ！！」
　目の前でぶらぶらしている胸元のモノを、強く握ってやる。
　両手で押さえてのけぞった隙に、ホットパンツの裾に指を引っ掛けた。そのまま軽く後ろに押してやる。
「わ、わ、わ」
　元々バランスを崩していた所を押され、抵抗むなしく転がってしまう。
　しかも引っ掛けられた指はそのままがっちりと食い込んで離さず、転んだ勢いで膝の辺りまで下着ごと脱げてしまった。
「い、いたた……」
「映像に残して、悠斗に売りつけてやりたい姿ね」
「わ、わーーーっっ！　やめて！　やめてっ！　まだ綺麗な体でいたいのーっ！」
　携帯を向けてやると、腕をぶんぶんと振り回しながら、部屋の隅に逃げていく。
　ごそごそと音がするところから察するに、服の隙間から下着を通して身に着けているのだろう。
　まったく……と嘆息しつつ、先ほど心音が手に持っていた地図を拾い上げた。
　そこには長浜研究学園都市の俯瞰図が縮小コピーされており、幾つかの場所に注訳がつけられている。
　アルが除き、残った場所には幾つか共通項がある。
　旧桜丘技研のような、潰れた研究施設や病院施設が中心だ。ここ、長浜のような場所では土地の色に合わせて移転してきたものの、成果が出せずに潰れ、再度移転し、併合されたようなものがいくつもある。
　もちろん、それらは研究所の数からすれば決して多くはないが、他の都市に比べると飛びぬけている。そもそも、絶対数が違うのだ。
　そして、中には敷地や建物が手付かずに放置されている例も、少なくはない。
　そのうちの一つが気に掛かった。
「この長浜記念病院跡って何？」
　今度はＴシャツにミニスカート姿の心音がやってくる。
　さっきの騒動も忘れているようだ。
　こういう、心音の立ち直りの速さはアルは気にいっている。何度からかっても拗ねたりしないから飽きがこないし、あの同じ外見の少女のように、すぐ腕力にも訴えてこない。
「昔できた所で、すごい大層な名前付けたけど院内感染がおこって酷い目にあったり、お医者さんが手術の最中に倒れたりして、呪われてるって噂があるところ」
「具体的には？」
「ん？」
「取り潰しの理由はそれでいいとして、今も建物が残って噂になるくらいだから、何かが起こったりしてるでしょう？　そちらはどうなの？」
「さあ。ただ、入院服みたいな格好の女の子を見かけたり、耳元で声が聞こえたり」
「そう……」
「だから調べようと思ってたのに～。アルちゃんがあんなこと言うからぁ～」
　訂正。立ち直ったわけではないようだ。
　半泣きになってる心音に、地図を手渡した。
「たまにはこういうのも良さそうね。用件が済んだら行ってみましょうか」


		§


「それで？」
「清川が戻ってくるのを待って、心音を連れて行って来たわよ？　すっかり暗くなって夜の九時くらいになっていたけど」
「……鬼だ」
　幾ら相手が心音だからって、そこまでするのは酷だ。
「行ってみると現金なもので、最初はカメラ片手に撮りまくってたわね」
「最初は？」
「途中からだんだん元気なくなってきて……音が聞こえるとか、何か居た！　とか言い出すし。まったく、妄想も困ったものだわ」
「…………おいおい」
「トイレに行くというので、中に入ってる間に離れて別行動してみたのだけど――」
「まて」
　ストップと、アルの前に手の平を突き出す。
「夜の廃墟のトイレに置いてったのか？　心音を？」
「ええ。待ってるのも時間の無駄だわ。私の可聴範囲に人の音は無かったから。……何か問題が？」
「……いやもういいよ。いろんな意味で相変わらずだな」
　流石にこれには心音も参っただろう。
　普段から賑やかでよくトラブルを起こす後輩だが、これはいくらなんでも可哀想だ。
　真央あたりなら、その場で泣き出してしまうかもしれない。
「でも元気なものだったわよ？　声は掛けておいたし、元々一人でも来るような神経した人を、ほんの少し弱ったからといって、今さら気遣っても無意味でしょう。トイレから出た後も、一人で歩いてたみたいだし」
　マジか……根性ありすぎるぞ。心音。
「なんだか賑やかだったわね。電気無いのにテレビついた、とか、なんだか人影が、とかそれはもうやかましい限り。元気になってよかったわ」
　それは元気とは違う気がする。
「それに、アレなら本物が居ても逃げるでしょうね。仮に本当に実体を失っても存在できるなら、好き好んでやかましい人には近づかないでしょう」
　確かに静かなところに出るってイメージはあるな。
　それにしてもやるな……心音。
　彼女の漢度を少し上方修正しておこう。
「でも判らないな。心音は楽しんでるみたいだけど、アルがそんな所付き合うなんて理由無いだろ」
「そうでもないわよ。私の目当ては薬品室だから」
「薬品？」
「ええ。ストックがなくなってきたから、ダメで元々で行ってみたの。潰れた建物なんて中の物が手付かずでも珍しくないから」
「そうなのか？」
「ネットで廃墟について掲載してるページでも見てみたら？　全部が全部几帳面に管理されてるわけじゃないわよ。メスや手術道具が放置されてる所も珍しくないから」
「……一体どこでネット使ってるんだ。お前は」
　もう、アルの持つ資金やら技術、環境は気にしない方がいいのかもしれない。間違いなくうちよりブルジョワジーな生活をしている。
「幸運にも薬品庫は手付かずだった……と思ったんだけど……何かおかしいのよね。棚に綺麗に並べられていたんだけど、幾つか抜けがあったの。硝酸は残ってたからいいとしても、ホウ酸なんて誰が持ち出したのかと思って」
「ホウ酸？　よく害虫駆除に使ってるアレか」
「そう。殺鼠や野犬なんかにも使われるわね。見つけても素手で触らない方がいいわよ。粘膜につくと厄介なことになるから。ほかにはろくな物がなかったけど」
　材料になりそうなナトリウムとか。なんて、ぼそっと聞こえた気がする。
　何の材料だ！　と突っ込みたい気持ちは抑える。あまり聞かないほうがいい。
「……そんなの何に使うんだろうな？」
「さてね。案外つまらない使い方かもしれないわよ」
「つまらないって、何か心当りが？」
「さあ。もしかしたら、そうなのかもしれないってだけ。……あ、そうだ。清川が何故出かけていったか、言わなかったかしら？」
「聞いてないな。何かあったのか」
「いえ。単に夏休みでハメを外した男子学生が一人、林の中で見つかったそうよ。車の中で、下半身丸出しの情けない姿で、意識を失って痙攣していたとか」
「なんだそれ」
「車はどうやら親の物。無免許でナンパか何かをしては、人の居ないところに連れ込んでいたようね。引っ掛かる方も問題あるけど、バカの末路としか言えないわ」
　それで、どうみても車内自殺か刑事事件に見えるような事態に、土地の管理者である心音のお爺さんが呼ばれたらしい。
　その男子は即日入院。原因は聞いておらず、興味もないので調べなかったらしい。
「……それで、その話がどう繋がるんだ？」
「ふふん」
　お代わり、と再びグラスを渡してくる。
　そちらは流しに出して、新しいグラスを出した。
　今度は今までよりもミルクを多く入れた。
「今までの私の話には、一つずつ嘘と伏せてる内容がある。悠斗はそれを当ててみて」
「はぁっ！？」
「暇だったんでしょ？　少しは付き合いなさい」
「まったく……」
　とはいえやる事なくて暇を持て余していたのも事実だ。
　あれから客も来ないし、注文はアルがするだけ。表には通る人影もなし。
　……ま、少し付き合うくらいならいいか。
「わざわざ話に出すくらいだから、病院とそのナンパ事件は関係あるんだよな」
「ノーヒント」
「む」
　つまり、その辺りの前後関係も話すとヒントになるってことなのだろか。
　推理とかじゃなく、アルの嘘と話してない内容を当てるという問題だ。だとするなら……この話で足りないものはなんだろう？　それがアルが話していない事になりそうだ。
「二つの話の繋がりがわからないな。そこが意図的に省かれてる……気がする」
「それで？　一つはそこで決定？」
「……ちょっとまった」
　嘘があるというのもポイントだ。
　繋がりが悪いからといって、片方のエピソードが嘘だったら繋がりが悪いことは矛盾にならない。
「というか、これアルにとても有利な問題だよな」
「バカね、そんなのあたりまえじゃない。勝てる勝負を一方的に仕掛けるのが楽しいのよ」
　ものすごいワガママ理論を当然とばかりに言ってくる。
　挑発的な目が、ホントに判らないのかと問いている。
「わかった。もう少し時間をくれ」
「好きにしなさい。あ――チョコサンデー追加ね」
「どんだけ食うんだよ……」
　この姉妹はさすがだと納得しつつ作りにいく。
　その間に、もう一度考えてみることにした。


「多分、嘘は話の繋がりのことだ」
「というと？」
「後半の病院の話は、心音の部屋の後に行ったようにしか取れないけど、実際は違うんじゃないか？　いや、それだと行ったというのと二重になるから、最初の話で名前の出ている長浜記念病院に行ったと思わせてる会話の繋ぎの部分が嘘だ」
「どうしてそう思ったの？」
「……とりあえず、正解かどうか教えてくれ」
「じゃ、正解」
　やっぱりか。
　違和感あったのは、いくらなんでも心音に対する扱い酷いんじゃないか？　と思ったことだ。
　基本的に人と距離を置くアルが、そこまで激しい突っ込みするには、何らかの理由がありそうだ。
　それが後半と前後が逆なら、何となく理由はわかる。
　無駄足踏まされて、それで心音が全然懲りてなくてノリノリだったから、少し意地悪したんだろう。ついでに、そこまでやったくせにその後付き合ってあげるあたりも、やはりアルだ。
「それで、もう一つは？」
「話してない事か……それがさっぱり判らないんだよな」
　というより、想像の余地がありすぎて特定しきれない。
　実際にはどこに行ったのか、もしくは二つのエピソードを繋ぐ、車内で倒れていたという男子の話。さらには心音のお爺さんが呼び出された何かで、また会ったのかもしれない。
　こちらは完全に想像するしかない。
「ふふん。もう一つはね……」
　と言って、ちらりと視線を後ろに流す。
　そこには先ほどからいる学生連中の席がある。……何故だか、こちらを――というか、アルを見ている。
　彼女達はとても目を引くルックスをしているから、その気持ちはわからないでもない。
　静かな店内だから、こちらの話が聞こえてしまうというのも、まああるだろう。
　だとしても、なんだか過剰に反応されてるような……。
「その馬鹿な学生のことを調べたっていうのが、伏せていた内容。……ま、長い休みでちょっと調子に乗った連中みたいで、入院した男が主犯で車を使って集団でナンパしていたみたいよ。ターゲットを見つけると、帰宅間際を狙うなんていうのは常道手段ね。ここまでくると、少々しつこすぎるんじゃないかしら」
「……夏場で羽目を外す奴ってのはよく聞くけど」
　それは確かに酷い。
「そのリーダー格の少年には当時彼女がいたらしい。……まあ、よくある男女のもつれってやつ？　ただ報復は酷かったみたいだし、案外その彼女とやらも同じ手口で手に入れていたのかもね」
「それが、さっきのアレか」
「そうじゃないの？　硫酸とは違い健康な皮膚を溶かすほどの強さはないけど、傷口や薄い粘膜に触れることで炎症や中毒症状を起こす。男で一番弱い部位に擦り付けられた、まさしく地獄でしょうね。しかもやるほうは気をつけていれば素手でも出来るし」
　そこで、再びちらりと背後に視線を送る。
　アルと一瞬目があい、彼らのうちの何人かがすくみあがった。
「触れる対象により一方だけが被害にあう――こんな形でも怨霊なんて作れるのね」
「……お前、よくそんなこと調べたな」
「ま、その仲良しグループ全員のデータもあるからね。今すぐ出すとこ出せるけど――」
　片手にしっしと犬を掃うような仕草をする。
　後ろの連中が、テーブルの上にお金をおいて、そそくさと立ち上がった。
「……はぁ」
「ま、お灸くらいにはなるでしょう。鈴には借りがあるし」
「まったく……自分がターゲットになったらどうするんだよ。強いのは知ってるけどさ」
「足手まといが居ないなら、長距離からスナイプされない限り負けないわよ。むしろそちらの方が好都合」
　そんなことを言って、不敵に笑う。
「でも、わざわざ鈴さんのために調べたのか？」
「ん？」
　意外な義理堅さに感心したのだが、違うと首を振った。
「この街で起こった事件なら、どんな些細なことでもやるわよ。何が自分に繋がるかわからないでしょ？　ほら、今って情報化時代だから」
　なんて微妙にずれた発言で締めくくった。


「それじゃ」
　ごちそうさまと言って、アルが立ち上がる。
　彼女の後を追うようにレジへ向かった。
　アルはお釣りもでないようにきっちり支払うと、日傘を手にした。
　春先は帽子で隠していた長い髪を、今はそれで代用しているようだ。
　もう一つ思い出したことがあって、呼び止めた。
「そういや、さっきのプラスチックってなんだ？」
「心音がテレビがどうとか言ってたじゃない。帰り際に私も見に行ったんだけど、これが全然映らないし、コンセントも刺さっていないしで、本当に肩透かしだったのよ」
「それは……ホラーだな」
「だから頭きて、持って帰って解体して中の構造調べてしまったわ。何も特別なことなんてなかったし、本当に無駄な時間すごした」
　まったく、人に無駄なことさせて……なんて言いながら外に出た。ついでに店の前まで見送る。
　クソ暑い炎天下を、僅かな鈍りさえも見せず、悠々と歩いていった。
　その背を見ながら思わずこぼれた。
「……怖いのはアルのほうだって」
　それが聞こえたのかどうか、ぴたりと彼女は足を止めた。
　不敵に笑って、一言。
「心音の写真、いる？」
「いらない。可哀想だから消してやって」
「ふふ。それじゃね」
　後手に携帯をくるくると振って、帰っていく。

　とても暑い夏の午後。
　アルが持ちかけた小さなエピソードだ。
　他にもユキや真央たちとも色々あったのだが――それはまた、別の話。