縁側から夏風が入り込む。
　蒸し暑い御奈神村の風だが、室内にたまった熱気を押し流して廊下の奥に通り抜ける。
　御奈神村に訪れた二年目の夏。
　ここで俺たちはとんでもない事件に遭遇し、そうして皆神家に伝わる一つの物語に終止符を打った。
　しかし、それとは別に、この世界での時間は誰にも平等に流れ、やがて夏休みの終わりが近付いてきていた。
　夏の終わり。
　俺はさくやをつれて、一度東京の実家に帰る事になっていた。
　俺たちの関係。それから親父の話。これは兄妹で歩む道を選んだ俺たちがつけなくちゃいけない、ケジメの一つだ。
　そんな訳で、朝から帰り支度をしている。
　ついでにお世話になったここの掃除をして、その間に皐月さんと翔子ちゃんは買い物だ。
　ありがたい事に、最後に豪勢に見送ってくれるらしい。
　再び風が吹き込む。
　思わぬ涼しさに、畳を拭く手を止める。
　そこに――。

　――キィィ――ン――。

　不思議な音が鳴り響いた。
「…………？」
　ふと気がつけば、縁側に吊るされた風鈴が変わっていた。
　形は釣鐘。吊るされた紐には新緑を思わせる短冊がかかっている。
　しかし、俺が風鈴に目を奪われたのは、硬い金属をぶつけたような不思議な共鳴音ではなく、風鈴そのものの色だった。
「これって……」
　色はどこまでも深い青。
　金属や陶器の上から塗ったのでは、ここまで深い色は出ないだろう。
　見ているだけで引き込まれそうな色は、しかし光の加減によって青く光っているようにも見えた。
「まさか羽衣？」
　思わず手を伸ばした。
　握り返す感触はとても硬い。力を入れてどうにかなりそうな硬さではない。
　もちろん興味本位で割る訳にもいかないから、篭めた力は僅かだけ。しかしこれが本当に羽衣で作った物なら、俺がどれだけ力を入れても決して壊れる事はないだろう。
「どうかしたんですか？」
「なあ、さくや。これ……どう思う？」
「風鈴ですか？　えっと、すごく硬いですね……って何を言わせるんですか」
　お約束のボケ返しを受けて、思った事を言った。
「これ、ひょっとして羽衣で出来てないか？」
「ええっ。まさか！？　あ、でもすごく似てますよね……色といい手触りといい……と言っても、私はそこまでじっくりと触った事はないのですが、なんというか知識的に？」
「言いたいことは分かる」
「それで兄さん。これ本当に羽衣でしたら、どうしましょう？　私達のはもう手元にありませんし、分解も出来ないですよね」
「……核も何もかも、全部放り出しちまったからなぁ。皆神家は羽衣を受け継いでた家だから、誰かがこんなの作ったとしても分からなくもないけど……でもそうなると、こんな身近にあったのに回収してないなんて、ちょっと驚きだよな……完全に見落としてた訳だろ」
「ですがこれ、本当に羽衣なんでしょうか？　単に似ているというだけでは？」
「それもありえる」
「というか兄さん、仮にそうだとしても本当に皆神の人が作ったんでしょうか？」
「わざわざ羽衣で日用品作りそうな人は……一人……いるな……」
「…………ですね」
　お互いの考えてる事なんて分かってる。
　今俺が思い浮かべているように、さくやの脳内にも長い銀髪をなびかせ、小首をかしげてにこやか笑う顔が浮かんでいる事だろう。
　そしてふと気がついた。
　可能性だけで言うならもう一人いる。
「……俺たちの母さんという可能性もある」
「…………」
　さくやが絶句する。
　無いとは言い切れないからだろう。
　俺たちに対しては優しい母親だったが、皐月さん達の言葉では銀子さんと遜色ないくらい思いついたらノリで行動する人だったようだ。
「……銀子さんに会いに行ってみます？　どちらにしても、このままここを後にしたら、ずっと気になってしまいそうです。それに違ったら違ったで回答は得られます」
「そうしてみよう。羽衣じゃないなら無いで気は晴れるしな。皐月さん達にはちょっと出かけるとメールを入れておこう」

　二人にメールを送るついでに銀子さんにも掛けてみるが、こちらはさっぱり連絡が付かない。
「……仕方ない足で探そう」
「なんだか、銀子さんにはいつもそうですよね」
　さくやの言葉に苦い笑いを浮かべるしかなかった。


§


　御奈神村。
　天女の伝説が今も残る閑静な田舎町だ。
　人口数千人の小さな村で俺と妹のさくやは育ち、そして母親の死と共にここを離れた。
　それから長い年月の後に、俺たちはここに帰ってきた。
　この村には、一つの想念が息づいていた。
　物語に残る天女。彼女が残した消え去る事のない強い想い。
　それは呪いとなって村に根付き、やがてそれは日本中を賑わせた事件となって降りかかった。

　――でもそれも既に終わった話だ。

　俺たちはこうして日常を取り戻し、そしてやがていつか彼女の事も想い出になる日も来るのだろう。
　でも、だとしても決して忘れる事はない。

　一人の青年を愛した、優しい天女の事を……。


§


　その天女が祀られている春日神社は、夏祭りも終わり静けさを取り戻していた。
　祭りの前は広大な敷地を避難所として使い、祭りの準備が始まると準備の人が大量に詰めていた。
　それが終わってやっと一息――目の前にいる幼馴染の春日いろはからは、そんな雰囲気が漂っていた。
「……で銀子さん探してるって？　なんかついこの間も似たようなシチュエーションあったような気がするなあ」
「あの時は本当に心臓に悪かったぞ」
「あたしはあんま実感ないんだけど……まあ、最近よくお茶飲み来てるから、真っ先にここに来るのも納得かな？」
　頭の後ろで腕組みしたまま、背筋を伸ばしている。
　その拍子にデカい胸が誇示されるように揺れるが、本人は欠片も気にした様子はない。
　組んでた手をぶんぶんと大きく振り、遠くに呼びかけた。
「朱音さーんっ！　銀子さんみなかったー？」
　箒を手にした南戸朱音さんがやってきた。この神社の癒し系担当の先輩巫女さんは、昨年会った時よりも落ち着きに似た貫禄のようなものが出てきている。
　そして、朱音さんの隣には巫女服を着た女の子がいた。
　今年になっていろはが雇った、夏休みのアルバイトの子だ。
　彼女に何か話して、朱音さんがこちらにやってくる。
　挨拶をして銀子さんを探してる旨を伝えた。
「今日は来られてないですね……もし行き違いになった時のために、伝言を伺っておきましょうか？」
「では……兄さんに連絡を下さい、とお伝えください」
「というかさ。あんたら携帯持ってるんだから、それで掛ければいいじゃない。番号知ってるんでしょ？」
「それはもう試した。電源切ってるのかなんなのかで繋がらないんだよ」
「もう一回試してみたら？」
「別にいいけど」
　発信履歴から番号を呼び出しリダイアルしてかける。
　コールしている携帯を、そのままいろはに渡した。
「……んーっと……あ、銀子さんですか？　こーすけの携帯だけどいろはです。なんか二人が探してるらしく――」
「ってちょっとまて！」
　繋がったのか？　と慌てて携帯を奪い取る。

『おかけになった番号は、電波の届かない所にあるか、電源がはいっていないため――』

「紛らわしい芝居すんなっ！」
「あはは。ひっかかったー」
「……これがもう２１になる大人の女性の言動とは、とても思えない」
「それを兄さんが言っても、これっぽっちも説得力ありませんよ」
「だよねー」
　いろはが笑う。そこに朱音さんがやんわりと割って入った。
「それでは銀子さんが来られましたら、お二人が探していたとお伝えします。もし差し支えなければ、用件の方も伺っておきますが……いかがなさいますか？」
「何か秘密の頼みごとだったり？」
「そんな事はないんだけど……」
　さくやと顔を見合わせる。
　二人に対してなんて言ったらいいのか正直難しい。
「これを見てもらおうかと思って」
　家から持ってきた風鈴を取り出して見せた。
「風鈴？　綺麗な色してるわね。何かいわくのあるものなの？」
「多分な」
「ふーん。どれどれ」
　いろはが摘み上げて、手で揺らす。

　――キィ――――ン――。

「ずいぶん変わった音がするわね」
「そうですね……澄んでいると言いますか、普通の音じゃないですよね」
「うん……初めて聞いた……かな？　これって何で出来てるんだろう。鉄でも陶器でも、ガラスでもないよね」
　いろはが俺に風鈴を戻す。
「でも家にあったんでしょ？　飾った人に聞くのが一番早くない？」
「それもそうなんだけど、今は二人とも出かけてるし……あ、いや、ちょっと待てよ？　なあ、さくや。朝って縁側の風鈴どうだったっけ」
「え？　どうと言われましても……どうだったでしょう？　あ、ですがいつも通りだったと思いますよ。だって兄さんは音で風鈴が変わった事に気付いたわけですよね？　朝から違っていたなら、きっと気付いてるはずですよ」
「だよな」
「こーすけが気付いたのは？」
「俺が居間の掃除してる時だから、昼飯のしばらく後だな。食べてる時は覚えてないけど、音に気付かなかったから変わってなかったと思う」
「あれ？　でも兄さん、待ってください。皐月さん達が出かけたのはお昼のすぐ後ですから」
「……えーと」
「それってつまり」
　いろはと朱音さんが俺たちをみる。
　さくやも困惑した顔だ。
「てことは、これって誰が吊るしたんだ？」
「やっぱり銀子さんじゃない？　こーすけが気付くかどうかっていうイタズラとか」
「銀子さんならやりそうだけど……何のために？」
「さあ……イタズラだから面白そうだったからとか……ダメ？」
「それはちょっと」
　朱音さんもそう言いながらも、ありえそうだと考えている。表情が明らかにそう物語っている。
「やっぱ……本人探すのが一番だよな」
「そうですね」
　結局そこに戻るのだった。


　§



　神社を出た後は、川原の方に向かう。
　夏休みの川原は子供たちの遊び場だ。
　その中にそろそろ見慣れたと言ってもいいツインテールがあった。
　だが、そこに期待した銀髪はない。
　気がつくと一緒にいるのに、会いたい時はなかなか見つからない。
「ところで兄さん。これが本当に羽衣だったとして……どうするつもりですか？」
「いや、どうもしないぞ」
「…………いいんですか？　それで」
「いいも悪いも……」

　羽衣は日本中を巻き込んだ事件を起こした。
　それに気付いている人は極少数だし、ニュースで動物の異常行動が取り上げられたが、喉もとを過ぎればなんとやら。もう世間ではそんな事もあったくらいの扱いだ。
　それでも御奈神村に他所の人らしい姿があって、テレビ局なんかの姿もあった。
　動物の行き先を伸ばすとここにぶつかるという事に気付いた人は、どこにでもいるという事なのだろう。
　だがそれももう終わった話だ。
　皆神家に伝わっていた羽衣は、天女の恨みと憎しみと、そして想いを包み込んだ結晶ごと空に還した。
　いつか、それこそ遠い未来に帰ってくるのかもしれないし、やがて何時しか別の入り口を見つけ、元の世界に戻るのかもしれない。
　銀子さんは御奈神村上空にあった入り口は閉ざされていると言っていたが、この世界のどこかにはまだ空いている所があるかもしれない。
　全ては可能性の話だ。
　だけど一つ言えることがある。
　羽衣は害を成す存在ではなく、残っていたとしても精密な検査でもしない限り珍しい物でしかないという事。
　特に皆神家に伝わっていた物ではなく、銀子さんのならなおさらだ。
「だから、結局は興味本位でしかないんだよな……」
「でも、イタズラのために羽衣を使うなんて」
「不謹慎か？」
「兄さんはそうは思わないんですか？」
「俺は……どうだろうな。色々と思う所はあるよ。うん。でも、これ自体はやっぱりただの道具なんだよな……事件の大元にはなったけど、俺たちも助けられている。すごい能力を持っているけど、使い方がささいなイタズラっていうのは、銀子さんらしく平和的で嬉しくなるかも」
「嬉しいですか？」
「そう。嬉しい。もしかしたら大昔の天女も平和な時はこんな使い方をしたのかもって」
「……そう、ですね。そうかもしれません」
　川辺にしゃがみ流れる水に手を浸す。
　呪いの大元になっていた赤い石はなく、流れる水に羽衣の欠片も混じっていない。
　御奈神村の清流は過去から現在まで、変わることなく流れている。
　今、ここに俺たちがこうしているように、過去にもまた同じように立っていた誰かが居たのだろう。
　そして、傍らで水面を見つめるさくやを見た。
　その中には妹と同じ名、容姿を持つ皆神の人も居たのだと思いながら。
「あーっ！　本当に来たっ」
　川辺から声があがった。
　俺たちに気付いた沙智子ちゃんが、ぱしゃぱしゃと足元の水をはねながら駆け寄ってくる。
「こんにちは。沙智子さん」
　さくやにならって挨拶をしながら、今の言葉を聞いてみた。
「本当に来たって、何？」
「風鈴持ってる？」
「え……」
「どうしてそれを？」
「銀ちゃんから頼まれたんだけど……後でここに二人が来るかもしれないから、そうしたらこれを渡してくれって」
「…………やっぱり銀子さんか」
「しかもお見通しでしたね……」
　二人で肩を落とす。
　というか、伝言を頼むのはいいとして、俺たちが沙智子ちゃんがここに居る間に来なかったらどうするつもりだったんだろう？
　それとも、銀子さんを探しに来るならまずは川原だと踏んでたんだろか。
「銀子さん何か言ってた？」
「別に。あたしは単に頼まれただけだから」
　そっけない口調だが特に怒っているわけでもない。
　付き合いも二年目になってだんだん分かってきた事だが、彼女は気負いしない時ほど態度がそっけなくなるように思う。
　きっと構えた所が無くなるからだろう。
　だから銀子さんと組んで何かイタズラを企んでるという訳でもなく、本当に頼まれただけなのだろうと思う。
「とりあえず読んでみるか……何が出てくるやら」
「ワケわかんないんだけど。あんたたち宝探しでもしてるの？」
「そんなつもりはなかったんだけどなぁ……案外、言いえて妙なのかも」
「なんと言っても銀子さんですしね」
　沙智子ちゃんにお礼を言ってその場を離れた。
　手紙の内容は気になるようだったが、追求して来ない辺り、沙智子ちゃんにちょっと大人の部分を感じてしまった。
　川辺から離れ、木陰で封を開けてみる。
　中から出てきたのは手書きの紙切れだった。

『これを見ているという事は、風鈴を見つけてくれたみたいだね？　きっとこうちゃんが考えている通り、その風鈴は羽衣で出来ています』

「やっぱりか……」
「……予想通りではありますが」
　妙な疲労感を覚えながら続きを読む。――が、そこにあるのは意外な内容だった。

『でもそれは何もいたずらをするために作った物じゃありません。実は私も存在をすっかり忘れてたんだけどね。この前の一件の後、身の回りの片づけをしていたら出てきたんだ。思わず懐かしくなっちゃった。けっこう大掛かりに掃除したから、ずいぶん綺麗になっちゃったよ』

「大掛かりな掃除？」
「兄さん、これって」
「あ、ああ」
　楽観的な気分が急速になくなっていく。
　御奈神村で始まった羽衣の事件は終わった。
　それはつまり、銀子さんがここに居る理由も無くなったという事で……事実彼女は、以前に言っていた。
　ずっとここに居たから、いろんな場所を見てみたいと。
　身辺整理。
　そんな単語が頭をよぎった。

『いやー。大掃除なんてしたの何十年ぶりだろう？　ありとあらゆるモノが詰め込まれててびっくりしたよ。今となっては貴重な骨董品もあったから、いい値段で売れたら何かご馳走してあげるね。今度は世間にあわせて年末にやろうかな。あ、もちろん、こうちゃんは手伝ってくれるよね？』

「……どうせそんなことだろうと、思ったよ！」
　紙を掴む手に思わず力を込めながら先を読む。

『あ、それはどうでもいい話だったね。二人があともう少しで帰っちゃうから、その前に一つイベントを用意してみました。見つかった風鈴は全部で三つ。それらを御奈神村のどこかに隠してあります。良かったら探してみてね』

　完全に宝探しだった。
　でも呆れるより先に次の文章に目を奪われる。

『全部見つかったら何か賞品をプレゼントしようかな。それじゃ頑張ってね』

「賞品？」
「なんなんでしょうね。一体」
「というか、ほんと唐突だなぁ」
　呆れたようなことを言いながらも、銀子さんらしいと思った。
　俺たちが御奈神村にいるのは後数日。
　その後は冬休みまで来る予定はない。
　ここから近いさくやはともかく、東京からだとなかなか気軽には来られない。
　この夏最後のイベントとしては面白いかもしれない。
「一方的なものですから、やらない選択肢もありますが……これは無意味な問いかけですね。返事は聞かなくても分かってます」
　どこか諦めた風に言うが、さくやもこの手のイベントは嫌いじゃない。
　すぐに次の言葉がやってくる。
「皐月さん達に少し時間が掛かるかもしれないと、連絡を入れておきますね。それでどこを探します？」
　メールを打つさくやを横目に考える。
「難しいな。誰かに持っていかれるのは銀子さんも望む所じゃないだろうから、そうならない場所だと思うんだけど、これはこれで問題がある」
「どんな問題です？」
「小さな風鈴を探すにしては、御奈神村は広すぎる」
「確かに」
「だから、見つけられるようなヒントがあるはずなんだけど……」
　封筒の中には何もなく、手紙にも場所を示すような物は書かれていない。
「……意外に難易度高そうだな」

　§


　村の方に戻ってきた。
　以前だったら山の吊り橋まで行ってる所だが、吊り橋の辺りは今も事件の痕が色濃く残っていて、山登りするにも危なくなっている。
　怪我の影響もあって体力が落ちてるのも少々辛い。
　彼女もその辺りは承知しているから、探しに行くのが大変な場所にはおかないだろう。
「だから風鈴を置くなら俺たちが気軽に行けて、かつ、誰かにとられないような所だ」
「……それはそうでしょうけど」
　何を当たり前な事を、と言いたげだ。
「風鈴が置いてあって一番違和感ない場所はどこだ？」
「どこと言われましても。というか兄さん。場所の見当はついてるんですか？」
「まさか。単に銀子さんがやらないだろうって事を列挙してるだけ。どこにあるかなんてさっぱりだ」
「その割にはずいぶん自信ありそうでしたから……」
「やるからには負けたくない。だったら前向きに検討するほうがいい。……とはいえ結局足で探すしかないから近い所から地道に見ていこう」
　神社にとんぼ返りするのも気が引けたので、まずはタカミ商店に向かった。
　沙智子ちゃんはまだ川原に友達といたからここには居ないのは織り込み済みだ。
　そう思っていたのだが、ベンチの所には意外な人がいた。
「あら、こんにちは。二人で散歩？」
「そんな所です。美里さんは……」
　ベンチに腰掛けてアイスを食べている。
　着ている服はジャージでもなく、スカートでもない。
　女性物のジーンズに大き目のゆったりしたＴシャツを着ている。
　シンプルな服装が、美里さんにとてもよく似合っていた。
「もしかして休憩時間ですか？」
「え、どうして？」
「なんとなく」
「ふふ。半分当りで半分ハズレかな。パソコンに向かってたら気疲れしちゃって。それで気分転換してるの」
「今日はお休みではないんですか？」
「家でもやる事が色々とあってね……新学期に入ったら、他所の学校で勉強会みたいなのもあるし」
「そうなんですか……」
「ところで二人は、そろそろ東京に帰っちゃうんだっけ？　もう日程や時間は決まったの？」
「週末のお昼くらいを考えてます」
「そっかぁ……寂しくなっちゃうわね」
「でもまた冬休みにきますよ」
「本当？　昨年はお正月も来なかったから、それ聞いてちょっと安心。でも、きっと休暇にはならなさそうね」
「どうしてです？」
　さくやが首を傾げるが、俺にはその答えが分かっていた。
「いろはが雪かきの手伝いを募集してるからだろうな」
　さくやが俺の肩を叩く。
「頑張ってくださいね」
「あはは。そんな事を言っても、手伝っちゃうのがさくやちゃんよね」
「そんな事はありません。今までの甘かった皆神さくやは死にました。これからは兄さんに厳しく生きる新しい皆神さくやです」
　ムダにデカい胸を張って宣言する。
　妹の言葉に、俺は肩を落とした。
「……そっかぁ……さくや、居なくなっちゃったのか……寂しいな。これまで仲のいい兄妹でやってきたはずなのに、どうしてこうなっちゃったんだろうな……ぐす……」
「えっ。ちょっと、兄さん？」
「やっぱりこれからはお姉ちゃんの時代なんでしょうか。美里さん――いやさ、美里お姉ちゃん！！　皆神家に養子に来ませんか？」
「ええっ！？　ちょ、ちょっと！　いきなり何言い出すのよ！　というかお姉ちゃんって……困るわよぅ」
「そんな事ありません！　優しいお姉ちゃんサイコーっ！　そしてさよなら厳しい妹。俺の愛した皆神さくやは。妹は……く……っ」
「わ、わかりました！　兄さんの仕事は妹の仕事。誠心誠意お手伝いさせていただきます」
「ありがとう妹よ。今、確かに心が通じ合った」
「もう」
　俺たちの寸劇に美里さんが呆れる。若干赤い顔をしていた。
「そういえば、これからどこか行くの？」
「あ――いや実はちょっと探し物をしていまして」
「探し物？」
　風鈴を取り出して、美里さんに見せた。
「これと同じ物を探してるんです。……銀子さんが村のどこかに隠したなんて言ってまして。ノーヒントなんで足で探そうかと」
「あら、綺麗な風鈴ね。どれどれ？」
　風に揺れる風鈴は澄んだ音をあたりに響かせる。
　綺麗で透明な高い音は途切れる事なく周囲に広がっていく。
　やはりというか、美里さんの反応もいろは達と同じようなものだった。
　聞いたことのない音に目を丸くしている。
「不思議な音がするのね」
「銀子さんはこれを後２つどこかに隠したって言ってるんですが、見覚えないですか？」
「う～ん……見たことはないかな……？　でも……なんだろう？　ちょっと引っ掛かるのよね」
「ひっかかる？」
「貸してもらってもいい？」
　美里さんに渡す。
　それを手に、風鈴を慣らす。
　再び澄んだ音が遠く響いた。
「どこかで聞き覚えがあるような」
　もう一度音を確かめるように耳を傾ける。
「あくまでそんな気がするってだけなんだけど。どこだったかな……大分昔だったかも……」
「それだとあまり関係ないかもしれませんね」
「もしかしたら、その風鈴だったりしてな。子供の頃に聞いた事があるとか」
「でも、そんな昔の音って覚えているものなんでしょうか」
「あら結構覚えているものよ？　音は匂いに次いで強く記憶に刻まれるって聞いたことないかしら」
「どこかで聞いたことはあるような……」
「何となく分かる感じがします」
　さくやが得心したと頷いている。
「寮の部屋で陽射しが入り込むんですが、それで暖められたベッドの日向の匂いが、実家でお昼寝をしていた時の事を思い出したり」
「そうね。いわゆるフラッシュバックという物に近いわ」
「それって過去のトラウマが強烈に蘇るってものですよね？」
「そこまでいかないからあくまで近いってだけね。人間の記憶って忘れてるようで意外と覚えてるのよ。その繋がりが薄れたら思い出さなくなるけれど、実は薄れるだけで殆どの内容は覚えてたりするのよね」
「……なんかその話、つい最近したな」
「そうなの？」
「ええ、まあ」
　羽衣について銀子さんと話した時だ。
　彼女は母親を亡くした後の俺とさくやの記憶を薄れさせた。
　その時に仕組みについて話した時に、似た内容が出た覚えがある。
「さくやちゃんが言った内容と似た感じなんだけど……この音を聞いた時に思い出したのよね」
「何をです？」
「孝介くんのおうちで、アイスクリーム食べた事」
「それってすごいガキの頃じゃないですか」
「まだ小学生か中学校に上がったばかりだったと思う。自分の事は曖昧だけど、でもあの時食べた味なんかもはっきり思い出したのよね……」
「銀子さんの持ち物なら、その時にも飾られてたりしてたのかもしれませんね」
「確かにその可能性はある」
　彼女はまさしく時の旅人だ。
　十年程度の時間、銀子さんからすればつい先日と同義だろう。
「これ銀子さんの物なの？」
「そうなんですが、家の軒先に気がついたら吊るされてたんですよ。それで明らかに不思議な物だったから、どうせ銀子さんだろうと思ったら案の定です」
「でも銀子さんご本人には会えなくて、沙智子さんが手紙を渡してくれたんです。その内容が宝探し」
「なんだか色々と引っ掛かる話ねぇ」
「俺たちもそう思ったんですが……まあ、相手が銀子さんなので諦めました」
「あはは、確かに」
　根本的な疑問がある。
　銀子さんを探すなら、川原にいる沙智子ちゃんに会うのは必然だ。
　しかし――そもそも風鈴に気付かなかったり、銀子さんに会いに行こうと思わなかった場合はどうするつもりだったんだろう？
　羽衣自体は銀子さんが作った物なら、放置しても構わないから気にしない。手放す前に羽衣そのものから得た知識では、ある程度の命令を入れておける。
　意図しない用途や、主から一定距離離れた時点で結合を解いて自動的に回収するような命令も組める。
　だから持ち去られた所で心配はいらない。風鈴自体に関してはそれでいい――と判断しても、やはり偶然狙いが強い。
　そして、俺たちが銀子さんを探しに行くという不確定要素を期待するにしては、手紙を残したりして手が込みすぎている。
　だが実際は彼女の狙い通り行動してしまっている。
　引っ掛かる話と美里さんは言った。まさしくその通りだ。
「それで、宝物のヒントは？」
「……この村のどこかとしか」
「え――」
　固まった美里さんに手紙を見せる。
「えーと……」
　それを何度か読み返している。
　さくやが横から覗き込んだ。
「他には何もないですよね……やはり、どこかにあるから探してくるようにとしか」
「やっぱり最大のヒントはこの音かしら？」
　澄んだ音は遠く響く。
　村を歩いて聞こえたら近くにあるという事。
　遠回りに思えた足で探すのが、やはり一番手っ取り早いかもしれない。
「懐かしい音ねぇ」
　不意にお店の中から声が聞こえた。
「あ、こんにちは」
　沙智子ちゃんのおばあさんに美里さんが頭を下げる。
　俺とさくやもそれに習った。
「この音、知ってるんですか？」
「ええ。ええ。前に皆神さんのお宅で聞いた事がありますよ。本当に懐かしいですね」
「うちに……？」
「じゃあやっぱり」
　美里さんが聞いたのもうち。
　やっぱり昔にもあったのか。
「それっていつぐらいでしょうか」
「ちょうど、さくやさんがお生れになった頃ですよ」
「私が……」
「縁側に掛けてあって、とても綺麗で不思議な音だったからよく覚えてますよ」
「あの、これって同じのを村のどこかに隠して、今それを宝探ししてるんですが、心当たりみたいなのはないですか？」
「兄さん……あったら私が生まれた頃ではなく、そちらを先に教えてくれると思いますよ……」
「……う」
「ふふ、確かにそうね」
　沙智子ちゃんのおばあさんにも笑われてしまった。
「あ、でも――そうね。そういえば、不思議に思ったのは何も音だけじゃなくて――」
「……？」
「確かその時は二つあったのだけれど、それが不思議な事にね――」

　その当時の事を教えてもらう。
　すごく、大きなヒントだった。

　§


「共鳴ですか？」
　タカミ商店から離れて、再び村を歩く。
　今度は手に風鈴をぶら下げたまま。歩くたびに澄んだ音が響き渡る。
　さくやと、それと朱音さん達に差し入れという美里さんと連れ立って、神社への道を歩いている。
「そう。離れた所に立てた音叉が、片方が震えるともう片方も振動する……なんていう映像見たことないか？」
「共鳴箱のついた音叉なら学校にもあるわよ。科学の実験なんかで使うわね」
「それとこの風鈴が同じ物という事ですか」
「実物を見たわけじゃないけど多分な。……というか音の響き具合といい、なんか引っ掛かってたんだよな。なんか遠くまで響く感じというか」
「レーダーみたいな？」
「イメージとしてはな。そして風鈴を鳴らして同じ音が返ってくるなら、かなり見つけやすくなる。逆に知ってたらかなり難易度が下がるから、手紙に書かなかった理由にもなる」
「でも孝介くん達はそれをしなかったわけだから、やっぱり出題者としてはちょっと意地悪に感じる所もあるわね」
「ノーヒントのテスト問題みたいなものですしね」
　さくやの言葉に美里さんが頷く。
「テストでもそういうの作ったりするけれどね。生徒の発想に拠る問題みたいなのが、情操教育には大事みたいだし。とはいえ、あまり難しくても意地悪になるだけだから、加減が難しいのよね……ってこんな話はいいの！　でも音叉の共鳴もあんまり距離は届かないじゃない？　こんなに小さい風鈴で、本当に分かるのかしら」
「そこは平気じゃないかと」
「……ですね」
「二人で納得しちゃって」
　びっくり超科学の羽衣製だから、人間の常識を遥かに超えた距離まで届くだろう。
「ま、でもいいか。この前の動物みたく何が起こるかわからないしね」
「……ですね」
　そのモロに当事者なさくやは、少し居心地が悪そうにしている。
　話を変える事にした。
「風鈴の話もそうなんですが、意外な所から意外な話が聞けたのも面白かったですよ」
「お母さんの話？」
「こっちに来るたびにイメージが壊されるようなことばっかり言われるんで……」
　沙智子ちゃんのおばあさんが語る俺たちの母親は、さくやを大事にする母性溢れる女性だった。
　普段が活動的な分、静かに子供を抱く姿が印象的だったというオマケはついていたが、今まで聞いた母親像がめちゃくちゃなのが多かっただけに、俺たちが以前持っていたイメージに合致した姿なのは少し新鮮だった。
「それは難しい所ね」
「美里さんは母と面識があったんですよね」
「そりゃもちろん。勉強教わってたし、先生もいいかな？　って思ったのは、さや先生の影響が強いと思うもの」
「……どんな人でした？」
「面白い先生だったわよ」
「即答で返ってくるのがやっぱりそれなんだ……」
「聞かないほうがいい気がしてきました」
　さくやと二人で肩を落とす。
　きっとめちゃくちゃな授業をしていたんだろう。
「あはは。大丈夫だって。私が習っていたのは駅前の塾だったんだけど、とても楽しかったなぁ……だってうちの親も学校の先生も勉強は真面目にやれって言うのに、さや先生だけだもん。勉強なんてやらなくても良いわよなんて言ってたの」
「それ、講師として働いてるのにどうなんだ」
「思いっきり仕事放棄ですよね」
「それがそうでも無いのよねー」
　美里さんはとても楽しそうだ。
「効率を重視して勉強をすれば空き時間が出来るって言うのが先生の言葉。時間をいっぱい使うより、要所要所で頑張って、後は沢山遊びましょうって言ってたわね」
「それはつまりメリハリをつけろという事ですか？」
「うん。今ならそう思うけど、これを聞いたのが小学生の頃だったからねー。勉強っていったらどれだけ時間を掛けるかってことばっかりで、今日は何時間勉強したかで褒められるのが当たり前だったから、本当に驚いちゃって」
　当時を懐かしむように微笑む。
「でも……うん。いっぱい時間をかけるより、そっちの方がずっと楽しかった。それまで塾も嫌々通っていたから楽しいっていうのがすごく驚きだった。……その時だったかななのかな？　そうか。勉強って先生によって全然違うんだってすごく強く思ったの」
　美里さんの話を二人で聞く。
　そこで語られる母さんの姿は俺たちが思っていたイメージ通りでもあり、皐月さんや銀子さんが言う破天荒な母さんとも合致して、不思議な気分だった。
　神社の石段を登りきるまでに、幾つかエピソードを聞く。
　その中には美里さんしか知らない話もあって、れは実家に帰る前の小さなお土産になりそうだった。

「さーて。いろはちゃんと朱音さんはどこかしらね」
　境内には人の姿は見えない。
　社務所か本殿か、もしくは湖の方だろう。
「手分けして探しましょうか？」
「だな。ついでに風鈴が無いか見てくるか」
「神社だといろはさんの気付かない隠し場所も多そうですしね」
　３人で手分けする事にした。
　境内を見る美里さんと社務所に向かうさくやと別れ湖の方へ向かう。

　――キィ――ン――

　手にした風鈴が歩くたびにゆれて鳴る。
　その音は響き渡り周囲に響き渡る。
　しかし返ってくる音はなく、音は森の中に消えていく。
「にゃぁ」
　――猫？
　ふと鳴き声が聞こえた。
「にゃ、にゃにゃ」
「……にゃぁ……」
　２種類の声が聞こえる。
　後から聞こえたのは確実に猫だけど、もう片方は人の声だ。
「どこだ……？」
　壁の反対側から聞こえる。
　湖に行く途中で裏に回れそうだ。
　裏を覗き込むと、そこに赤白の巫女服が見えた。
「にゃー。どうしたのかにゃぁ？」
「ごろごろ」
　……朱音さんだ。
　指先で猫の首元を撫でている。
「お腹空いたの？　でもごめんなさいね。ここだとご飯あげられないの」
「ごろごろ」
　当然のことだが、猫は朱音さんの話なんて聞いていない。
　恰幅の良さそうな体躯でぐでんと寝転び、撫でる指先に身をゆだねている。
「可愛いにゃぁ。あ、写真とっちゃおうっと。えーっと……」
　ごそごそと巫女服を探るが、携帯が出てこないようだ。
「……あ、社務所に置いてきちゃった。残念だにゃぁ……」
「………………」
　これはどうすればいいんだろうか。
　動いたら気付かれそうで、そうなったら気まずくなりそうで――行くのも戻るのも出来なくなっていた。
　そして俺が手にしているのは風に揺れる風鈴。
　鳴らないように抑えるのを忘れていたことに気付いたのは、澄んだ音が鳴り響いてからだった。
　高い音に猫がぴくりと頭をあげる。
　猫眼がまっすぐ俺を見据える。
　隣の朱音さんは、こっちを見たままあっけにとられていた。
「…………え」
「ど、ども……」
　視線が交差する。
　その顔が見る見る赤くなっていった。
「ああ、ああ、あの、あのあの……っ！　ど、どこから……」
「いやっ！　別に……その……今来たばかりで……単に猫の鳴き声がしたから、……って、あっ」
「う、ううっ。う～～……」
　……耳まで赤くなっている。
「だっ！　大丈夫ですよ！　その、ほら動物に話しかける時ってついついそうなっちゃうっていうか。嫌でも男の俺がやるとキモいけれど、朱音さんなら大丈夫というか……」
「…………」
　返事はない。
　完全にフリーズしている。
「……よかったら。俺の携帯貸しましょうか？」
「…………お借りします」
　それでも撮る事を選ぶのは、彼女の猫好きを裏付けるものだった。

「お恥ずかしい所を」
　撮った写真を朱音さんの携帯に転送する。
　朱音さんは先ほどから真っ赤になったままだ。
「いや別に……というか猫好きなんですか？」
「それはもう」
　……きっぱり言い切ったよ。
「そ、それで孝介さんはどうされたんですか？　何か忘れ物でしょうか」
「あ、いや。――っと、そうだ。美里さんが朱音さんといろはと、後はアルバイトの人に差し入れってアイス持ってきてましたよ。俺は神社の辺り探してなかったので、その確認に」
「美里さんが……ありがとうございます。行ってみます……けど、探してっていうのは、銀子さんですか？」
「いえ銀子さん本人じゃないです。これと同じ風鈴を後２つ御奈神村のどこかに隠したからみつけてみろという、宝探しみたいな……」
「なるほど。なんだか銀子さんらしいですね」
「みんなまったく同じ事を言ってますよ」
「やはり」
　くすくすと笑う。
　気まずい空気はもう流れていた。
「ではあまりお待たせしても申し訳ないので行って来ます。美里さんは社務所の方でしょうか」
「多分……分かれた時は境内の辺り探すと言ってたので、その辺り居ると思います」
「わかりました。では」
　小さく頭を下げて神社の方に戻っていく。
　それを見送って、大きく息をついた。
「……びっくりしたな。朱音さんって猫好きだったんだ」
　あの猫も馴れた様子だった。
　朱音さんに懐いているのだろう。
　見知らぬ俺に警戒を向けてた所からすると、神社の人だけ――もしかしたら、朱音さん以外には気を許してないのかもしれない。
　朱音さんは落ち着く雰囲気の人から理解はできるが、動物に気を許されてるというのは少し羨ましい。
「動物かぁ……俺に懐いてるのなんて……」
　…………いないな。
　翔子ちゃんはごんたとたまに遊んでるけど、あの狐、彼女が居ない時は俺には露骨に距離取りやがる。
　湖の辺りでもう一度鳴らしてみる。

　――キィ――ン――。

　そろそろ聞きなれてきた、辺りに響く澄んだ音。
　ここもダメか……？

　――――ィ――

「……？」
　今何か聞こえた。
　鳴らしたのは一度だけ。しかし、その後に山彦のような木霊があった。
「今のって……」
　もう一度ならす。
　そして、遅れて返ってくるかすかな音。
「……マジか」
　自分で言い出した事ながら、正直半信半疑だった。
　だがこうして共鳴音が返ってきている。
　後は音を頼りに見つけ出せば、残りは後一つだ。

　――ガサ。

　音を頼りに足を踏み出すと、茂みが割れる。
　そこから顔を出したのは茶色の体躯。子供の時の丸さはなくなり、すっきりした顔になっている。
　ピンとたった２つの耳は辺りの様子を伺い、視線は真っ直ぐ俺に向けられている。
　それは先ほどの猫のような人に気を許したモノではなく、同族以外の異物を敵とみなす獣の顔だった。
「ごんた？」
「――――」
　小さく呼びかけるがもとより返事はない。
　意思疎通が出来るわけでもないし、コイツは俺には懐いていない。
　ごんたを撫でようと思うなら、翔子ちゃんを連れてこないといけないだろう。
　キィンと長く高い音が鳴り響いた。
　それは俺の手元の風鈴ではなく、ごんたが加えた青い風鈴から響いている。
「ちっちっち」
　手を出しておいでおいでをする。
　その風鈴を渡して欲しいのだが……一体どうすればいいんだろう。
「……仕方ない」
　携帯を取り出しさくやにメールを入れる。
　小狐の頃は異様に懐かれてたから、上手くすれば翔子ちゃんがいなくても大丈夫だろう。
　返事はすぐ返ってきた。
『そちらに向かいます』
　メール通り、数分とかからずさくやがやってくる。
　俺と睨みあってる形のごんたを見て状況を理解したようだ。
「……本当にありましたね。風鈴」
「かなり盲点の場所にな。……というか、あんなの見つからないだろ……」
　村にあってここから近くて。かつ誰にも持ち去られない。
　ごんたが持ってるなら当然だ。
「ほら、ごんた。こちらにおいで」
　さくやが手を出して呼ぶが、狐は近付いてこなかった。
「……？　以前は全力ダッシュを喰らったのにな」
「そ、そうですね……」
　スカートの前を手で押さえながら呼びかける。
「…………」
　ごんたが牙をむく。
　体勢を低くして唸りをあげた。
「……お前、俺以上に嫌われてないか」
「え、え？　なんでですかっ」
「もしかして」
　ふと思いついたことがあって、ぽつりと言った。
「ごんたが翔子ちゃんを助けた時、お前完全に悪役だったから、それを今も覚えてるんじゃ……」
「そんなぁ」
　そのごんたは今にも飛び掛ってきそうだ。
「というかまずくないか？　これ」
「そ、そうですね……」
　冗談抜きで逃げた方がいいのかもしれない。
　だが立ち上がろうとした瞬間、更に別の声がかかった。
「二人ともそんな所で何やってんのよ」
「いろは！？」
　――ザザッ！！
　後ろを振り向くと同時に、茂みから飛び出す音がした。
「きゃ――っ」
　さくやが小さな悲鳴をあげる。
　振り向いた先には真っ直ぐな矢となって俺たちに突っ込んでくるごんたの姿だった。
「さくやっ！」
　隣の妹を庇う。
　ごんたは俺たちの中間目掛けて最短距離で走り寄り――。

　そして最短距離で駆け抜けていった。

「あ、こら。そんなにがっつくんじゃないの」
「…………？」
　恐る恐る後ろを振り向く。
　いろはが手にトレーを持っていて、そこにはこんもりとご飯が乗せられていた。
　狐はいろはの足元にまとわりついて、尻尾をパタパタと振って袴を噛んで引っ張っている。
　ぐるぐると唸ってるのは、早く寄こせと催促しているのだろう。
「…………」
「…………」
　トレーを下に置くと喜び勇んでがっついている。
　先ほど見せたような野性は完全になりを潜め、飯を食ってる所をガシガシと撫でられている姿は、いろはに飼われてるようにしか見えない。
「……コ、コイツは」
「というか、ごんたを神社で飼ってるんですか？」
「ん？　ああ。この子にはあの時たくさん助けられたからね。翔子ちゃんが飼えるようになるまで、うちで面倒みてあげてんの」
「そうなのか……」
「そうよー。動物が入ってきた時とか全部追い返してくれたからね。実は神社の恩人だったりするのよね。……あれ？　恩狐？」
「…………」
　その原因のさくやは少し居心地が悪そうだ。
「あ、兄さん。風鈴は……」
「……思いっきり落としてやがるな。さすが動物。飯優先か……」
　茂みに落ちてるそれを拾ってくる。
　元から持っている方を鳴らすと、共鳴しあって二つの音が鳴り響いた。
「それがさくやちゃんが言ってた探してる風鈴なんだ。本当にまったく同じものなのね。全然見分けつかないわ」
「銀子さんが言うには後もう一つあるっぽい。本気で宝探しだったあたり、いろはの言う通りだったな」
「でしょー」
「ふぅ」
　さくやが胸に手を当てて大きく息をついた。
　俺も緊張が解けて、似たようなものだった。


　流石に同じ場所にはおかないだろうから、神社の境内に戻る。
　美里さんと朱音さんは手水場の辺りに。
　それから社務所の方にはいろはでも朱音さんでもない緋袴が見えた。
「来年にはもっと巫女さん増えてそうだなー」
「こーすけ達が次くるのはお正月でしょ？　それなら今より沢山見られると思うわよ」
「あ、お正月はアルバイトを雇っていると言ってましたね」
「夏休みはもうお仕事ないけど、正月は本当に大変だからね。なんといっても寒いし」
「コート着こんだ巫女服なんて嫌だしな……正月は何やるんだ？」
「夏祭りと変わらないけれど、おみくじでとても混むから、こっちに人を回さないと。それから甘酒を配るからそっちにも数人いないといけないし。それでいて神楽もあるから、どうしても夏祭りより人を割かないとね」
「そりゃ人手が必要だな……その上、雪まで降るんだっけ」
「あ、でも来年は平気そうね。だって――」
「俺とさくやが居るからな。任せておけ」
「誠心誠意お手伝いさせていただきます」
「えっ！？　う、うん……助かるけど、なんだかすごく早い返事……」
「色々とあったんだ」
「壮大なドラマがありました」
「そこで俺たちは兄妹の絆の得難さを確かめた」
「だから春日神社のお正月は、私達にとって大切なイベントなんです」
　さくやと二人で力説する。
「……いや、さっぱり訳が分からないというか、意味不明なんだけど」
　いろははドン引きしていた。


　§


　残りの風鈴は一つ。
　同じ所には無いだろうから、神社を後にして村の散策に戻った。
　俺とさくやが一つずつ持って、鳴らしながら歩く。
「今気づいたんだが」
「奇遇ですね。私もです」
　バス停への道を歩きながら妹に言う。
「これ、ハタから見たら怪しくないか？」
「スカラー波を防いでるとでも言っておけば平気ですよ」
「……それも微妙だな」
　妙な音のする風鈴を持った兄妹二人が、それを鳴らしながら徘徊している。
　とても奇妙な絵面だ。
　今が夜でなくて本当に良かった。昼間ならまだ大丈夫だろう。
「バス停にも無し……駅前の方だったらちょっと面倒ですね」
「幾ら銀子さんでも、そこまでは大丈夫だろう。と言いたいが、可能性で言うなら無くも無いか」
「ひとまず戻ります？　まだ言ってない所もありますし」
「そうだな」
　踵を返して家の方に向かう。
　今度は学校の方に行ってみる事にした。
「そういえば兄さん」
「ん？」
　さくやを見ると、目が合った。
　その表情が――珍しい。
　いつもは人を真っ直ぐ見つめる妹が、少し上目遣いに俺を覗き込んでいる。
「帰る前に行っておきたい場所はないんですか？」
「実はあった」
「あった？　過去形ですか」
「だって、こうしてもう殆ど回っちまっただろ。後は帰る前にまた皆の所を回って挨拶してくか」
「……昨年もやりましたね。それ」
「はは、そうだったな」
　あの時は翔子ちゃんを泣かせてしまった。
　沙智子ちゃんの叱咤の声が、今も思い出せる。
　初対面ではツンケンする子だったが、あのやり取りを見て二人は本当に得難い友人同士なんだと思った。
「夏が終わっても冬に来て、それから春になって……」
「なら受験頑張らないとだな」
「ふふ、そうですね。その定義で言うなら冬休みは寮に篭って勉強漬けにならないといけないのでしょうけど」
「さっきはあんな事言ってたけど、受験勉強の妹を引っ張り出してまで雪かき手伝わせるつもりはないからな」
「そうなんですか？」
「そうだよ」
　俺の返事に小さく笑う。
　さくやの足取りが楽しげな物になる。
「それはどうしてですか？」
「どうしても何も……そういうもんだろ」
「本当に？」
「なんだよ。やけに突っかかるな」
「だって、兄さんも分かってるじゃないですか」
「……言いたくない。恥ずかしい。大体言わなくても分かってるだろ。妹なんだから」
「それでも言って貰いたい時もあるんですよ。妹でも一人の人間ですから。言葉が嬉しいんです。察してくださいよ。鈍いって言われちゃいますよ」
「別に誰に言われても構わないんだがなぁ……」
　頭をガリガリとかいた。
「あー。こほん」
「ささ、どうぞどうぞ」
　妹の妙な合いの手を受けて、思った事を言う。
　それはとても気恥ずかしく、若干上ずっていたかもしれない。
　改めて言う台詞にしては色気がなく、それでいて何気なく言うにはしゃちほこばった言葉だった。
「春からはお前と同じ大学に行きたい」
「はい。任せてください」
　少し顔を赤らめて、笑顔で言う。
　それは今までの澄ました顔が常だったさくやが、この夏で得たものだ。
「だから冬休みも大丈夫です。私は絶対に落ちません。もう百人力ですよ」
「お前の成績なら元から落ちる理由もないだろ」
「それでもです。何があるかわからないのがテストなんですからね」
「……だな」
　片方の手を俺に重ねる。
「足がよろけてますよ？　まだ体調悪いのかもしれませんね」
　両の足はしっかりと大地を踏みしめている。
　だが手は離さず、強く握り返した。
「そうかもしれないな。支えてくれるか？」
「はい。いつまでも」


　学校の方を見て周るが結局空振りに終わった。
　さっきまでつないでいた手が今もじんわりと温もりが残っている。
　だが肝心の風鈴探しは暗礁に乗り上げてしまった。
「後行ってないのは……」
「お墓でしょうか。後は見落としも考えられます。遮蔽物の後ろにあって音が届いていないか、こちらが共鳴音を聞き逃した可能性ですね」
「それももっともなんだけど、これをごんたが持ってたってのがなぁ。残りも誰かが持ち歩いてるんじゃないだろうな」
「…………無いとは言い切れませんね」
　だって銀子さんだし。
「とはいえ、ここでああだこうだ言ってても始まらない。一度帰ってみるか」
「そうですね。そろそろ皐月さん達も戻ってきていると思いますし」
　みんなの分もジュースを買って家に戻る。
　村の通りを抜けて家の垣根にそって歩き、敷地に入る。
　開け放たれた縁側から皐月さんの姿が見えた。
　そして、その向かいに座っているのは――。
「…………ああ、なるほど」
「……完全に盲点でしたね」
　がっくりと肩を落とす。
「あ、やっほー。お帰りー」
　のん気に声を掛けてきたのは、間違いなく銀子さんだった。

　居間にはみんな揃っていた。
　翔子ちゃんは普段とは違う青いワンピースを着て、長い髪の毛はそのまま背中に降ろされている。
　銀子さんと同じ二人並んで似たような姿勢で足を投げ出し座っている姿は、姉妹のようにも見えた。
「じゃあ３人で買い物してたんですか」
「向こうで会って、そのまま一緒にね」
「……なるほど。こっちに居たら俺たちに会っちゃうかもしれませんしね」
「そういうことー。それでどう？　ここに無かったから、気付いたんだと思ったけど、さっちゃんには会った？」
「会いましたよ……全部銀子さんの手の平の上っぽくて釈然としないなぁ……」
「ええと……どういうことなの？」
　翔子ちゃんが首を傾げる。
　今日の事を話した。

　§


「なるほど。銀子さんの……」
「最初に見つけた時は心臓止まるかと思いましたよ。なんでこんな所にあるんだーって」
「本当に？」
「いや、嘘ですけど。それよりこれ」
　手にした風鈴を差し出す。
　でも銀子さんはそれを受け取らず、押し留めた。
「もう終わりでいいの？　せっかく賞品も用意したのに」
「おにいちゃん、探そうよ」
　翔子ちゃんも乗り気だ。
「……確かに負けっぱなしってのも気が引ける。じゃあ見つけてくるか！」
「でも音に気付いたっていうのはさすがだね。不親切すぎたかなぁって思ってたんだけど」
「沙智子さんのおばあさんに教えていただきました。昔、ここに飾ってあったんですよね」
「そうなんだ」
「実はそうなんだ。少しだけだから忘れてると思うけど」
「聞き覚えはあるような気がするんだけれど……」
「さくやが生まれた頃なら、もう十何年も前ですし」
「そうなのよね。時間が経つのははやいわね」
「銀子さんにそのことで聞きたかったんですよ。なんで羽衣なんですか？　というより、何で羽衣でこれを？」
「え」
　きょとんと首を傾げる。
　大したことじゃないとばかりに言った。
「単に、さやちゃんにこれ色んな事が出来るよって見せただけだけど」
「…………ごめんなさい。すごく納得したわ」
　皐月さんがしみじみ言う。
　俺も同じ気持ちだ。
「でも今は良かったと思う。それじゃ最後の一個。頑張って見つけてきてね」


　再び外に出る。
　今度は翔子ちゃんも一緒だ。
「どこを探したの？」
「実は殆ど全部回ったんだ」
「わたし、分かっちゃったかも」
「本当ですか？」
「うん。だって今、銀おねえちゃん言ってたもん。これを作ったのは――」
　母さんとのやり取りがあったから。
「……だな。取りに行くか。最後の一個」
「はい」
　三人で歩く。
　商店街を抜けた先。御奈神村にある寺と大きな敷地の墓地。
　敷地に入って風鈴を鳴らした。

　――キィ――ン――

　さくやが持つ、もう片方に共鳴する。
　互いに木霊し響きあう音は、幾重にも重なって広がり続ける。
　そして、やがてもう一つの音が重なり始めた。
「あ」
　翔子ちゃんが長いスカートをひるがえし、小走りで駆ける。
　背中まで伸ばされた亜麻色の髪がなびいている。
「おにいちゃーん。さくやちゃーん。あったよー」
「……やっぱりここだったか」
「分かった後だと、ノーヒントでも見つけられる場所でしたね。翔子ちゃんが居たら最初にごんたの所に行くでしょうし」
「俺たちが母さんの場所を探さない訳がないってか」
「でも最初には行かないでしょうから、ある意味絶対歩き回る配置ですよね」
「分かってて仕掛けたなら、けっこう意地悪だな」
　でも帰る前にゆっくり村を歩けてよかった。
　墓前の翔子ちゃんに近付く。
　反響する音の響きが重なる。
「はい、おにいちゃん。これ」
　重なり合う共鳴が一つにまとまる。
「兄さん……？」
　差し出す風鈴を受け取った。
　辺りに、声が響いた。

「ふふ、良く寝てる」
「……今のままだと、さくやちゃんには全然似てないなぁ」
「だって産まれたばかりなのよ？　当然じゃない」

　聞こえてくるのは二人の女性。
　片方は銀子さん。
　今しがた聞いた声だし、そうでなくても忘れるわけがない。
　そしてもう片方は、隣に居る妹の物。
　妹であって違う声。
「かあ……さん……？」

「ひょっとして、さくやちゃんもこうだったのかな？」
「そうじゃないかしら。でもそれは私だけじゃないわ。みんな同じ。銀子さんもきっとね」
「……う～。それはどうだろう。なんだか全然想像できないなぁ」
「いつか銀子さんにもいい人が出来て、結婚しちゃったりするのかもね」
「あ、ないない。それはない」
「そう？」
「そーだよ。そういうのは私は断固として遠慮しますってね」
　銀子さんの声に母さんがくすくすと笑っている。
「そうかしら？　案外いい人が出来たりしたりしてね」
「さくやちゃんは意地悪だなぁ」
「ううん、違うわよ」
「なにが？」
「名前。それはね、この子にあげることにしたの」
「……そっか」
「皆神家のしきたりなんて、正直私は守る気なんてなかったんだけどなぁ」
「でも守っちゃうんだ」
「ええ。もしかしたら、お母さんやそのまたお母さんも同じ事を思いながら守ってきたのかもしれないわね」
「どんな事？」
「この子の方が、この名前に相応しいって。この子を産んで、なんだか急に思っちゃったの。……ああ、私よりも相応しいぴったりの名前なんだって。だから名前を引き継いできたんだなぁって……おかしい？」
「よく、わかんない。けど、そうするのがいいって思ったなら、私はそれでいいんだと思うよ」
「さすが銀子さん。大人ね」
「ひっどいなぁ。これでもまだ２５歳だよ」
「あらあら、いつの間にか追い抜いちゃった。知り合った頃は幾つだったのかしらね」
「じゅ、じゅうはち……かな……じゃなくて！　それで名前どうするの？」
「そっちももう決めてるわ。私はこれからは――」

　……音が途切れる。
　気がつけば、風鈴も鳴り止んでいた。

「…………さくや」
　妹の肩を抱いた。
　こくんと、小さく頷く。
「銀子さん、にくい演出しますよね」
　鼻をすすりながら言う。
「さくやちゃん」
　翔子ちゃんの目も赤くなっていた。
　受け取ったハンカチを当てて、さくやは頷く。
「私、この名前が大好きです」


　§


　――東京に帰る前日の夜。
　みんなが開いてくれた送別会の後、軽く夜風に当ろうと外に出た。

「あ、こうちゃんだ」
「銀子さんは酔い覚ましですか？」
「そうだねー。頭痛いのはいやだしね」
　一人シラフの俺は、後片付けをしていた。
　さくやは珍しく誰にでも分かるほどの上機嫌で、みんなのお酌を受けていた。
「ああいう使い方も出来るんですね」
「ん？　ああ、まぁね。羽衣が得た情報は記憶され続けるから。条件付けと再生が出来れば、音くらいはね。といっても元の羽衣に戻しちゃってたら難しかったけど……いやー、ほんとによくとっておいたよ。当時の私」
「さくや喜んでましたよ」
「そっか。それなら嬉しいな」
　そう言った彼女の顔は、どこか寂しそうでもあった。
「銀子さんは複雑そうですね」
「んー……少しだけ。今になって思うと、さやちゃんの言葉って本当に少しだけだけど、考えちゃう」
「……そうかもしれませんね」
　子供を産むたびに、羽衣を扱うための情報が引き継がれる。
　皆神家が持っていた、天女の呪いの篭った赤い核ごと。
　母さんはさくやが生まれて名前を引き継ぐのが自然だと言っていた。
　それは、母さんの中にあった赤い石が、さくやに引き継がれたという事も意味していて……。
「でもそんな事は考えなくても大丈夫ですよ。だって母さんですし」
「いいの？　そんなこと言っちゃって」
「さあ。でも……母さんは幸せそうでした。親父に報告できる事が増えて、よかったかな……って……」
　そういやさくやが生まれた頃なら、親父も普通にここで暮らしてたはずだ。
　銀子さんと親父は面識があるんだろうか？
「親父とも知り合いなんですよね？」
「ん？　ううん、違うよ。基本的に村の人ともあんまり知り合わないようにしてるんだ。さやちゃんはけっこう特別」
「そうなんですか……」
「あ、もちろん、今は皐月さんも翔子ちゃんも、もちろんさくやちゃんもこうちゃんも。いろはちゃんだってみんな特別。……でも当時は実は隠れて見に来たんだ。こうちゃんが生まれた時にもお祝いに来てたんだよ」
「……流石に覚えてない」
「さくやちゃんの時は、こーんなちっちゃなこうちゃんと遊んだりもしたなぁ」
「全然覚えてないですよ」
「小さかったしね」
　そうですねと苦笑する。
　銀子さんも笑っていた。

　部屋に戻り際、彼女に言った。
「アイツ、自分の名前が好きだって言ってました」
「……そうなんだ。ありがとう。教えてくれて」
「いえ……では、おやすみなさい」
　その名前は銀子さんにとってはお姉さんの名だ。
　もう少し夜風に当るという彼女を残し、ひとり戻る。
　銀子さんの口が小さく動く。
　もう一度、ありがとうと聞こえた気がした。

　epilogue



「さーて。これから数時間は電車の中だな。準備はいいか？」
「ばっちりです。兄さんこそ忘れ物はありませんか」
「大丈夫。忘れてもまた取りにくればいい」
「それもそうですね」

　改札に見送りに来てくれた皆に手を振った。
　これから先、東京までは妹との二人旅だ。

「……ちょっと胃が痛くなってきた」
「しっかりしてくださいよ」
　実家に戻って俺とさくやの事を改めて話して――それから、御奈神村で起きた事件を話す。
　それはあの村に生きた一人の女性の人生の記録。
　親父がそれをどう受け止めるのか。そして何を思うのか。俺はそれを知りたいと思う。
「まあ……殴られるのだけは覚悟しとくか」
「そうですね……」
「ほんと、男女の区別つけないからなぁ」
「ゲンコツで済むといいんですが」
「貰ってからが本番だな」

　駅のホームにアナウンスが入る。
　俺とさくやが乗る電車が入ってくる。
　これに乗って、しばらく行って快速に乗り換える。
　そこからもう少し行ったら新幹線。
　東京までの時間は僅か片道３時間。
　近くて遠い故郷だ。
　また近々来る事もあるだろう。

「それじゃまた」

　停車した電車に入り、窓越しに村を見る。
　ここから見えるのは駅前の僅かな風景だけだけど、俺たちの故郷がどんな姿をしているか、幾らでも鮮明に思い出せる。

「あ――」

　さくやが見ている方。
　そこには線路を跨いだ柵ごしに、駅前の広場が見えていた。
　さっきまで一緒だった皆がいる。
　俺たちが乗る電車を見送るためか、まだ帰らず残っていた。

「次は、冬休みだな」
「ええ。必ず」

　さくやと二人。
　あるいは親父も入れて三人かな。

　――必ずこの場所に、戻ってくる。
